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タヌキ (狸)racoon dog,racoon-like dog 学名:Nyctereutes procyonoides 、哺乳綱食肉イヌ科の動物
 アジア東部に生息する特産種の一つで、日本およびユーラシア大陸の北、シベリアのアムール川より、南はベトナム北部までの間に分布する。タヌキ属には、タヌキ1種だけが知られているが、生息する地域により僅かではあるが形態的違い(地理的変異)がみられ、6亜種に分類される。日本にはこのうち2亜種が生息し、本州、四国、九州および佐渡島に分布するものをホンドタヌキとよび、北海道のものをエゾタヌキとよぶ。
 (形態)タヌキは、イヌ科の中でもイヌ属やキツネ属の動物と比べて体形ははずんぐりしており、尾も太く、また足も短いので、もっとも走行に適していない。歯は普通40〜44本とされ、肉をかみ切るために食肉類に発達した裂肉歯と犬歯があまり発達していない。これらの点から、タヌキはイヌ科のなかで極めて原始的な動物といえる。
 エゾタヌキは、ホンドタヌキと体の大きさには殆ど差がみられないが、体毛が厚く下毛が多いことと、毛が長いため、大きく見える。色彩は淡色で黄褐色みが少ない。足はホンドタヌキより長い。
 (生態)日本産の2亜種では、次のような生態が知られている。生息場所は、水辺の森林の中や下草が生い茂った林である。夜行性のため、よほどのことがない限り日中は巣穴にいて活動しないが、飼育下では日中でも活動がみられる。巣は、岩穴や木のうろ、根元の穴、あるいはアナグマやキツネなどが放棄した穴であるが、まれに数本のトンネルがある小穴をさらに大きく、また長く自分で掘ることがある。また、キツネなどと比べ人間に対する警戒心が薄いためか、土蔵や寺院の床下などを巣にすることもある。雑食性で、動物質ではネズミなどのげっ歯類やヘビ、カエル、魚、カニなど、植物質ではとくに果実を好むが、季節によって変化がみられる。カキなどを食べるときは、近縁のハイイロギツネと同様に巧みに木に登る。餌に困ると、人間の残飯をあさるほか、まれに家禽を取ることがあるが、大形の鳥獣をとることはない。巣穴近くの1平方メートルほどの広さに、親も子も共同で排糞する。これがタヌキ独特の溜糞と呼ばれる習性で、1種の臭い付けの役割をすると考えられるが、行動圏を主張するためのものか、匂いで個体どうしを結びつけるためのものかは不明である。
 タヌキは普通つがいか5〜6頭の家族単位で生活している。北方のものは巣穴に冬ごもりするが、完全に冬眠するわけではない。発情期は1〜3月ごろで、この時期の雄はクンクンという声で雌を呼ぶ。雌雄は尿で臭い付けして、縄張りを守る。1産の平均は4〜6子で、新生子は60〜90グラム、閉眼で黒く軟らかい毛が生えている。子は10日ほどで餌を食べ始め、2〜3ケ月で離乳する。秋には成体に近くなり独立するが、性成熟には生後1年ほどを要する。
 タヌキは急に驚かされると、仮死状態のようになることがある。この状態は有袋類のオポッサムにも見られ、一見仮死状態のようであるが、完全な失神状態ではなく、脳はある程度目覚めているため、一種の警戒状態であろうといわれている。また、この状態からしばらくたつと起き出して逃げるので、古来「たぬき寝入り」と呼ばれて死にまねとみられたり、キツネと同様に人を化かすと言い伝えのもとになっている。タヌキは体形的に攻撃や逃走が不得手なため、長い間に、生存上有利であったこのような習性を身につけたものと考えられる。
 (人間生活との関係)タヌキは日本の野生生物のなかで、もっとも人間とのつきあいが古いものの一つである。それは、みるからに愛嬌のある姿が人々に愛されたためといえよう。また、そのずんぐりとした体形から、古来タヌキはムジナとかマミとか呼ばれてアナグマと混称されたり、地方によっては曖昧に使い分けられている。利用面では、タヌキの毛皮は下毛が多いため、襟巻きやコートにも利用されるが、最近はその毛がおもに書道の毛筆の原料として用いられている。
 (民族)タヌキはキツネと同様、人を化かすとされ、怪談が伝えられているが、タヌキは人に化けても「一声(ひとこえ)おらび」と言って一声しか返事ができず、しかも人に化けたタヌキの着物は縞柄が夜目にもはっきりわかるという。他方、人に憑(つ)くとも言われ、タヌキに憑かれるとやたらに大食いして腹ばかり膨れ、ついには体が衰弱して命を落とすという。普通は祈祷師に頼んでこれを落として貰うが、佐渡では山伏に頼むと言う。また「お四つさん」といって、タヌキに食物を与えて自分の仇敵に憑かせることもある。徳島県にはタヌキの話しが多く、憑いて困るタヌキを祀り込めた洞穴が各地にある。関東の利根川沿いには、樹の上に上ったタヌキが道行く人に砂や小石を播き掛けるという「砂播狸」の話しがある。同じような話しは熊本県にもあり、村の娘が山へ薪を取りに行くと、藪の中からタヌキが小石をばらばら投げかけ、帰り道には薪の上にのったり、薪を押したりすることがあるという。
 伝説もいろいろあるが、相模(神奈川県)から中部地方にかけては鎌倉の建長寺の「狸和尚」が有名である。和尚に化けたタヌキが各地を説教して歩くが、あるとき宿に着くと、イヌが嫌いだといって遠ざけたため、宿の人が障子の陰から見ると和尚の挙動がおかしい。それを見破ったイヌは飛びついてかみ殺してしまうが、この狸和尚が書いたという筆跡がいまも伝えられている。福島県須賀川地方では、秋に「松明(たいまつ)あかし」という行事を行なう。松明の行列でタヌキを追う動作をするこの行事は、昔、落成した城主二階堂家の家臣たちの慰霊の行事であったが、その風習を嫌った新城主の目をはばかり、当時田畑を荒らしたタヌキを追うという名目で慰霊を続けてきたという。
 愛知県三河地方では、青年たちが集まって「狸寄せ」というのを行なったという。これは「こっくりさん」「狐寄せ」と同様、一人の人を目隠しして周りの者が唱え言をし、その者が次第に興奮状態になったところで、皆がいろいろと問答してお告げを聞くものである。東京の番町には昔「七不思議」というのがあったが、そのうちの一つに、深夜タヌキが腹を打つ太鼓の音が聞こえてくるという「狸囃子(ばやし)」があった。昔話では「カチカチ山」「分福茶釜」「狸と田螺(たにし)の走り比べ」「狸の八畳敷」などがよく知られている。
   SONY 『日本大百科全書』 より