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五稜郭
 函館市五稜郭町に現存するわが国最大・最初の西洋式陵堡式城跡。正式名は亀田役所土塁というが、V字形の堡頭をもった五稜星形築城なので五稜郭と通称されている。
 幕府は神奈川条約による函館開港と、ロシアの南下政策などに対応するため、1855年(安政2)6月、函館奉行を配置、奉行所として亀田役所土塁、弁天岬台場などの築造を計画した。五稜郭は1857年に着工、64年に竣工した。設計と監督は伊予大洲藩出身の武田斐三郎成章で、西洋の築城書をもとに築城したといわれる。
 星型の築城は郭内からの射撃に死角がないことが特徴で、日本でも17世紀中ごろには兵法書に登場しており、同じく幕末に築城された長野県南佐久郡の竜岡城も同型のものである。
     SONY 『日本大百科全書』 より