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高 知 城
 戦国期〜江戸期の城。高知市丸の内にある。1588年(天正16)長宗我部元親が、南北朝期に城を築き始めたが潮江川と江ノ口川の洪水に苦しめられて放棄。元親は浦戸城を居城としていた。1601年(慶長6)長宗我部氏にかわって二十万石の大名として土佐に入ってきた山内一豊はただちに大高坂山に築城を始め、1603年に本丸、二の丸を完成して入城した。三の丸部分まで完成したのは1611年で、その前年、名を高知と改めている。
 一豊時代の天守は1727年(享保12)に焼失し、現在の天守閣は1747年に再建されたものであるが、大屋根に望楼を載せ、勾欄廻縁式の慶長期の古風な様式をとどめている。ほかに王手門、懐徳館(本丸正殿)など建造物も多い。
   SONY 日本大百科全書 より