マル秘インドスナップ へ

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オマケのページ

此所では今までのシリーズから食み出た写真を紹介したい。

・そもそもはこの汚い紙幣から始まった。銀行からの紙幣は100枚単位で左側を頑丈なステープルで止めて出てくるから、新しい札ほど針穴が少なく、茶色になる頃には向うを覗ける程の孔になってしまう。
・地図で判るように、Salboniはカルカッタのほぼ真西に位置する。途中のKolaghatまで約2時間。火力発電所が見える ホテルの前で休憩する。KHARAGPUR市の郊外をかすめ、MEDINIPUR市の田園を北上してカルカッタから4時間である。更に北のChandrakona町は交通の要所で比較的大きなマーケットがあり、更に1時間ほど北へ行ったBishnupur市はインド観光で扱った観光地となっている。その先のプルリアから一日1往復の特急が出ているが、カルカッタへは河の手前のHAORA迄で、写真左側のカルカッタ市街地へはハウラ橋か有料吊橋経由となる。また、インドスナップで扱ったディガは地図の下側ベンガル湾に面した「Digha」と記された所である。
・1998年の春から始まったフェーズU(メインプレス)は、この事務所が活動拠点となった。インマルサット(衛星電話)の導入で日本とのFax連絡は格段に良くなった。


・サルボニの地を踏んだ日本人は総勢100名を超えた。皆それぞれ自分の務めを果たしてくれた▽▽製作所の人達も良く遣ってくれた。1999年9月2日、メインプレスを背に事務所前の記念写真は皆晴れ晴れとした表情である。
・このオフセット印刷機のオペーレータ達は生産性は良かったが最終検収テスト中に不良の侭で印刷を続けた為に8日間のテスト延長となった。ご苦労様でした。
・凹版印刷機のオペレータ達>はチームワークが良かった。シャムプラサド副課長の人徳であろうか。


・このチームはナンバリング機で最高の61000枚の記録を作ったチーム。謙虚な振舞いから実力はもっと上だろう。
・フィニッシングの人達は高生産性の機械に対して人数も多く、何時も余裕綽綽であった。
・BRBを支えている人達は他にも沢山いた。食堂厨房の人達、スラッジを処理する人達などである。
・工場入室チェックのCISFメンバーにはモンゴル系の人も居る。また女性警備員はサリー風の金色ユニフォームである。


・誰が教えたか「儲かりまっか」「ぼちぼちでんね」のウットン・オディガリ君。総務部長のナンディさんは各パーティに皆勤賞ものだった。この写真はEAPL主催でGRKの孫誕生を名目としたもの。肝心のカールケディア君はカラグプル滞在中。
・ヒゲの姉ちゃんも懐かしい。この写真は通勤バスに同乗した所。ヒゲ姉ちゃんはミニプレスでもメインプレスでもテープカットのアシスタントで大活躍だった。
・嫌われ役のジョリーさん<、今日はココナツセレモニーだったのですよ。
・BRB幹部のご婦人方はインドのご婦人の典型と言える。KCT主催パーティでのもの。
・EAPLの人達もインドの田舎で頑張って呉れました。家族が工場見学で来たときで、左はモハン・クマール、右はナガラジュ。


・ゲストハウスは何と言ってもコックさんに支えられていた。天野さん等は隠れた一番の貢献者。最初のコックの須藤さんも大変な環境でご苦労さまでした。
・ゲストハウスでは何度かBRB幹部を迎えてパーティを開いた。集まる迄の一と時を写真展で寛ぐ。アミダで楽しむ招待者に、船田夫妻のアベマリアは好評だった。
・パーティで寛ぐ宇野常務と何を狙っているか鎌形君


・パンデット課長は何度もゲストハウスを訪れたが、船田課長からの大瓶のシーバスは一番嬉しいプレゼントだったろう。
・KCTの木下支店長、今は亡きジョンの娘さんがゲストハウスを訪問してくれた。
・Saraswati Pujaと言うが車に祭った神様を押し立ててゲストハウスにも踊りの集団が毎年押し寄せて来る。
・1999年11月24日、凹版印刷機のFAC(最終検収)が出た。インド製シャンペンを抜く飯塚部長と乾杯のメンバーもメインプレス最初のFACに盛りあがった。


・暑いカラグプルでの船田夫妻達、インド料理がお気に召したようだ。WSTの人達もインド料理を堪能した。宇野専務もご機嫌でした。
・カラグプルにはインド工科大学とも言えるIITがある。その正面でのYGK夫妻に、カールケディアと言う息子が生まれて、ウジュワラさん等は楽しそう。


・1999年9月16日、CISFモハンカ隊長が、息子の3歳の誕生日を祝ってパーティを催した。BRB幹部とその家族ら100名以上が集った。インドでは天井からぶら下げた風船をこうして割る習慣があるのだとか。
・メンテナンスの係長サフーが結婚するからとカラープリント80枚を作ってくれと強請られた。それにしてもキャプテンには勿体無い美人だ。後日新婚家庭に招待されてご馳走になった料理は美味しかった。
・メンテナンスのヤダブ部長はバトミントン好きで、ゲストハウスの庭にナイター設備を作り夜毎楽しんでいたが、日本人は誰一人一緒にプレーはしなかった。インド人とアフリカ人は暗い所に強い。
・サルボニサイトは周囲を鉄条網で囲われ、南東端と北東端にあるCISF警備のゲートからしか出入り出来ない筈が、アルマーダ(ジープ)で楽々と出入り出来る所がある。場所は地図上>の◎印の所で、他に○印の4ケ所は自転車で出入り出来る。
・サルボニサイト内病院で最初にお世話になった山名参事についてはインドからだよーんVで既に記した通り


・この写真は1998年5月23日、▽▽専務に同行してカルカッタから2時間のKolaghatはパンジャブ・ホテル前で休憩した時のもの。
・サルボニから北へ車で15分、Chandrakona手前のソナリ・レストラン。街道沿いのドライブインには違いないが何時行っても殆ど客は居ない。注文してから出て来るまで1時間待たねばならない。
・1999年5月1日のメーデーはリフレッシュ休暇でカルカッタ・タージベンガル・ホテルに泊まり、ビクトリア記念館など観光した。夜のM.DASが催したパーティでのインド料理は美味しかった。保温機能の付いた独特の什器は良く出来ている。
・帰国の為にサルボニからカルカッタへ向かった時のこと、踏み切り前の渋滞を避けて横道へ入った所で、小走りのお神輿状の行列に出くわした。其れは荼毘に付すものだった。


・インドの航空会社は国営の国際線AI便と主に国内向けのIC便、民間はサハリ航空とジェット・エアウエーがあるが、国営は両方とも器材もサービスも酷い。所が民間のジェットエアウエーはシンガポール航空にも負けぬ程で、機内食は美味しいしスチワーデスも美人揃いで、器材も新しくて清潔だった。
・ボンベイ市のイスラムのお寺であるHaji Ali's Tombは海岸から少し離れた島にあるが、干潮時に陸続きになって歩いて行けるようになっている。こちらはビクトリアの首飾りと言われるMahim Bayでの一こま。そして圧巻はボンベイ中の洗濯屋が集まった所。100以上の島を干拓して作ったボンベイの水は全て本土からパイプで運ばれているから、洗濯の水は無駄に出来ない。
・色々あったインドだった。JALから富士山を眺め、成田に降りる日を指折り数えて過ごした日々だった。