マル秘インド・スナップへ

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ミニプレス

《搬入設置》

 ○○が受注した印刷機械類は8ラインでコアマシンは40台だったが、最初はミニプレスとして1ライン5台で稼動させ、残りを含めてメインプレスで稼動させる計画だった。ミニプレスは工場の北東側にある。左の写真はCISFの望楼から見たもので、左側の大きい建物はメインプレスの白紙自動倉庫、右側手前が工作機械などが設置されているMRS、その奥がミニプレスとなっている。中央の写真はミニプレスを正面から見た所である。

・1996年8月、雨期が未だ終り切らない中でオフセット印刷機とナンバー印刷機の搬入設置が始まった。
・搬入はミニプレス工場正面角の壁を塞ぐ前に行われ、機械と付属品とが入ってから壁のレンガ積みと仕上げが為された。
・オフセット機による10ルピー紙幣の絵柄印刷は其の年の10月からインドメンバーによって始められ、ナンバー印刷も続いて11月上旬から始まった。


・大判に50枚、絵柄とナンバー印刷された紙幣を小切れにする仕上げ機は、同年11月上旬からの搬入となった。搬入はミニプレスの真後ろに当る引込み線プラットホームから行われた。
・満足な機械もなく、コロに載せたコンテナーをチェーンブロックで引き出し、狭い廊下を通す為にプラットホーム上で開梱して引き入れることになった。
・そして間も無く仕上げ機にて小切れにされたインド10ルピー紙幣が1000枚ずつの束となり、これにより日本の機械によるインド紙幣の生産が始まった。
・大判印刷の一部に印刷不良が出た場合の、残りの紙幣に小切れでナンバー印刷を刷るシングルノート・ナンバー印刷機は1997年2月からの搬入となったが、開発機種でもあり問題解決に多くの時間と人員を投入し、最終テストが終わってインド製・シャンペンによる乾杯が出来たのはメインプレスへの搬入が始まろうとする1998年の3月だった。


《ミニプレス開所》

・この工場はインド中央銀行(RBI)が新プロジェクトを組み、BRBと言う子会社を作って建設した二つの新工場の一つだが、先行するマイソール工場から遅れる事半年後の1996年12月11日にサルボニ・ミニプレスは開所式を迎えた。
・式典はインド中央銀行総裁のランガラジャンを主賓とし、00A−000001の記念紙幣の贈呈、銘板の序幕、 テープカットなど一連のセレモニーが行われ、またメインプレスを含めたサルボニサイト全体の模型が披露された。
・この開所式には日本から○○○○社長が遥々駈け付けて列席された。成田〜カルカッタよりも、カルカッタ〜サルボニを遠く感じたとのことだった。
・会場の一角でミニプレス建設までの様子とスナップをPHOTO EXPOとしてBRBチームにより展示された。


《メインプレスへの移設》

・ミニプレスの開所式から約1年半後にメインプレスへの機械搬入が始まったが、BRBの方針として、ミニプレスの機械類もメインプレスへ移設することとなり、1999年1月に実施された。
・移設はオフセット印刷機、ナンバー印刷機とも搬入と全く逆の作業となり、レンガ積み壁を打ち抜いての引き出し、 吊り上げなど、重量専門職活躍の場が再現された。
・印刷機2台の移設の為にカルカッタから取り寄せた起重機でトレーラーに移し、メインプレス搬入口で降ろす作業が二日間繰り返えされた。
・移設が終わって4日後、取り壊された排出用の壁は直ぐに塞がれ、1週間後には元に戻った。今ミニプレスはトレーニングセンターとして使われている。
・尚、仕上げ機とシングルノートナンバー印刷機の移設は、ミニプレスとメインプレスとを裏側で接続しているプラットホームを経由し、印刷機の移設に続いて行われた。
・ミニプレスでの合計印刷枚数は大判で4500万枚、紙幣にして2億2500万枚だった。