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インドからだよ〜ん-V

*** 摂氏40度の世界 ***

今年(1999年)はインドでも50年振りの暑さなのだとか。
当地の事を詳しく知らない我々にとっては此れが普通かと思っていたが、この暑さは インド人にとっても暑いのだった。
体温計には42℃までしか目盛りが無いけれど、それは体温が42℃を越えると死ん でしまうからで、死んだ人の体温は計る必要がないからそれ以上の目盛りも無い次第。
その42℃以上が連日の事だったので、やはりインド人でも暑いに違いない。

近くの(と言っても20キロはある)ミドナプル市ではこの暑さの為に外で寝る者が 多く、寝ている間に毒ヘビに噛まれて5人死んだとか、もう少し南に近いオリッサの 方では連日100人単位で熱射病で死んでいるのだとか。
単に暑いだけでなく雨がずっと降っていないので水不足も深刻になっており、汗で体 温を下げるだけの水の確保が出来ない人も沢山いるらしい。
だから水の争いも多くて、水売りから水を盗もうとして殺人事件になったりするらしい。
と言うのも私は現地の新聞を直接読めないからで、此れらは全て周りの人の話しによる。

インドは4月中旬からの1ケ月間が一番暑い。
レンガ作りの建物だから室内は昼も夜も37℃位になる。
音が大きく性能の悪い冷房機を入れても精々33℃位まで。
スイッチを切ると10分位で37℃に上がる。
建物全体が37℃になっているから冷房しても空気温度が下がるだけであり、従って 冷房を切ると壁から天井からの熱気で直ぐに戻ってしまうのだ。
昨年の真夏はこの原理を知って、昼休みと夕食前に屋上に水を撒き、気化熱で建物を 冷やそうと1週間ほど続けてみたのだった。
しかし気持ち1℃位は下がったかどうかで、水撒きの労力に見合う効果は得られず、 今年は自然に逆らう事は止めた。
冷房の風は身体に悪い事は判っていても、体温以上の室温では寝付けない。
結局今年はベットのマットレスを衝立として冷房機の前に立て掛け、空気の流れを一 旦天井へ向ける事とした。
その結果マットレス無しのベットとなり、床に毛布で寝るのと同じになったが、意外 や意外、其れで寝ていたら何日かして腰の痛さが和らいできた。
インド滞在が長引くにつれて腰が次第に痛くなるのはマットレスの為だったのだ。
この方法は一石二鳥となった。
しかし、冷房機の音は如何とも出来ず、夜中に何度か目覚める事は避けられなかった。

そんな暑さもスコールが来ると一気に30℃位まで下がる。
待ちかねたスコールが5月10日の夕方に来てその夜は久々に熟睡出来たそして爽や かな朝を迎えた。
所が前の夜の冷房調整を間違えたか、山名参事が38℃の熱を出し、昼過ぎても下が る所か更に上がり続けたことから、プラント病院の第一号日本人患者となってしまった。
この病院は昨年12月7日に社長のヘグデが来てオープニング・セレモニーが行われた が、若い夫婦の医者が常駐し、他に3名程の専門医が巡回診療していて、ベットも2 0程ある。
大した設備も無いのだが、女医さんの診察を受けて薬の処方箋を貰い、近くのサルボ ニ村薬局で買って飲んだ薬により、山名参事は夕方には熱も下がって来た。

次の患者は電気部の佐々木係長で、山名参事の様態が安定してきた15日(土)にサ ルボニ入りし、翌日暑さがぶり返した中で私がインド料理に誘ったのが良くなかっ た。
少し離れたチャンドラコナ町の雑踏をブラつき、帰りに街道筋のインド料理レス トランでランチとしただけだったが、やはり翌朝熱を出して食事も喉を通せなかった。
山名参事同様に風邪かと思いつつ、第二日本人患者となって診断して貰った所、 病名は「脱水」とのこと。
毎日3リットルの水分を取りなさいと言われて、飲料水添加剤の指定を受け、佐々木 係長はそれを飲んで翌日から元気に仕事に就いたのだった。
此れも典型的な暑さによる病気(熱射病?)だった。

3人目の患者も暑さと無関係ではない。
5月も中旬になると毎日のようにスコールが来て、其れまでは真っ茶けていたゲスト ハウスの芝生が日一日と緑に変わって来る。
そんな凌ぎ易さは我々人間だけでなく、小さい虫や動物達にとっても同じこと。
日一日と虫の声が大きくなり、天井を這うヤモリの動きも活発になる。
そんな或る日の夜、岸川参事がシャワーを使っていた所、バスタブにうごめく小動物 にびっくり仰天。
かつてバスタブでサソリを目にした事から、刺されては大変と外へ出ようとした 所が、濡れた床で足を滑らせ、転んだ所がトイレの便座で、強かに腰を打ったのだっ た。
倒れた侭で目近に見た小動物はサソリでなくコオロギだったのは良かったけれ ど、打った所が良くなくて暫くは裸の侭で起き上がれなかったとのこと。
お気の毒なことだった。

打った痛さは何かにつけてご不自由なことで、ベット・インやベット・アウトは時間 をかければ何とかなること。
一番の影響は力むと骨に響いてデリバリが極めて難しくなった事とか。
イチヂク浣腸を試してみたが此れは誰かに入れて貰わないと一人では 使い切れないのだとか。
インドでのチョンガー生活の笑えない悲哀となった。
最後の手段で3人目の患者となって便秘薬の処方箋を貰うこととなってしまった。
インドでは医薬分業により、医者は薬を売れないし、我々も医者の診断書が無いと薬 を買えない。
インドの薬は強い。
三人三様だったけれど、其々薬の効用は見事だった。

所でインドは香辛料の国。
一般的にインドへの旅行者はインド料理だけになるが、必ず一週間以内にデリバリが 柔らかとなり、インドから帰って一週間以内に再びデリバリが変わるとのこと。
茅ヶ崎市辻堂に日本に帰化したインド人が経営している「インダス」にはインドコッ クが4〜5人居て、本格的インド料理を食べさせてくれるが、其処の経営 者にその理由を聞いた事があった。
すると、「香辛料は漢方薬と同じだからね」と言われた。
確かに漢方薬を毎日続けたら体質改善されるに違いない。
その似非漢方薬の効用にお世話にもなったのが岸川参事で、薬でデリバリが少し良く なった次の日、CISF司令官の自宅に招待されて私と伺った時のこと、彼は真正ベ ジタリアンで数々の香辛料入り夕食をご馳走になった後、岸川参事はインド厠の拝借 となった。
そして曰く、「インドの薬よりインド料理が効きました」

(オリジナル:1999年5月23日、編集:2000年5月16日)

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