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インドからだよ〜ん-V

*** 電気事情と電話事情 ***

4回目のインドは2年目のインドでもあった。
11月は暑くなく寒くなく、雨も無くて過し易い季節だが、二週間目に入って少々の 疲れを感じ始める。
機械の引渡しテストが始まり、現場で立ちっ放しになる事が多い事にもよるが、この 土地特有で、日本と比べると異常な事が多いので、気にしていないようにしていて も、気になったり神経を使っていたりするのだろう。

自家発電装置が機能するようになって、停電は最初よりズット少なくなったとは言っ ても一日に数回は停電する日もあるし、それで機械の調子も悪くなる。
一番嫌らしいのはパソコンの動作が異常になる事だ。
停電に限らず時々蛍光燈がチラつく異常電圧や、電圧変換機がジイジイ言って電圧の 変化に反応しており、その関係でパソコンの動きが影響していると思うと、いい加減 にして欲しいと、つい「愚痴」が出る。
急に何をしても動かなくなったり、特別変な事はしていないのに「異常な操作により プログラムを終了します」と一方的に終了させられて、それまで入力した文書などが 消えてしまう。

こんな電源で印刷機も動かしているので、機械の動きも予想外な動作をする事があ る。
原因不明で変になるのだけれど、此方の人にとっては電源が異常だとは思っていない から、始末に悪い。
人間的には悪い人は居ないのだけれど、彼らが普通と考えている事が我々にとっては 異常この上ない事なので、扱いに困る事がシバシバだ。

詳しく電源事情を調べた結果、電圧は時間帯によってプラスマイナス10%以上、1 5%位は上下するし、周波数も50Hzプラスマイナス3Hz位は変化する。
周波数変化があるなんて日本人に理解できないが、結局変電所の電圧調整機の仕組み として、同じエネルギーで電圧を上げたいから周波数も高くなってしまうことらし い。
この結果稼動中の機械回転が上下したり、同期が取れなくなって異常制御が起きてし まう。
日本では起こる筈のないトラブルがアチコチ多発したのだった。

電話の不通も度々発生する。
此れも事情を調べたら、カルカッタ局管轄の電話は割とマトモだし電話料金も安いの だとか。
カルカッタから車で2時間も離れると急に事情が悪くなる。
カラグプル市管轄の電話局でもインターネットが使える安定度にはない。
まして更に車で1時間のサルボニ村では国際電話が一応使える本数は3本だけ。
そのうち1本は我々のプロジェクト事務所で使い、1本は我々のゲストハウスで使っ た。
残りの1本を顧客の工場長が使った。

一度は1週間以上もの不通があった。
何と、その理由は、カラグプルからの電話線が盗まれたのだと言う。
後日、街道で良く見ると、電信柱に2本の細い線が延々とカラグプルへ向かってい た。
戦後間も無くの我々の子供の頃、小遣い欲しさにクズ鉄を探し回ったのと同じだ。
くず鉄漁りはインド人ばかりとは限らない。
搬入設置で余った材料が色々と出るが、英国からの機械納入に来たメーカ技術者が、 インド人を誑かして余剰資材を集め、ゲート外に持ち出した事件があった。
ゲートの産業警察軍(CISF)はインド人に厳しく、外人に甘い所を利用したも の。
誇り高い英国人にも色々な者がいるものだ。

電話の問題としては他にも質の問題があった。
会話は気にならないがFAXでは必ず1ページで2ケ所位が抜けてしまう。
従って文章の間がそっくり1行ずつ抜けるから、結局電話で内容確認などしなくては ならない。
今のFAXはメモリー付きで、通信異常だと何度も送り直すから、結果として同じ内 容を5回も6回も自動発信してしまい、その間は電話不通と同じだし、しかも電話代 はうなぎ上りとなってしまった。

この様な環境では仕事が計画通り進みようもないので、インマルサットを導入するこ ととなった。
此れは太平洋上、インド洋上と言う具合に、赤道上に5個の静止衛生が配置されてお り、アタッシュケースの蓋がアンテナとなっていて、それを静止衛生に向けると世界 中何処でも電話が使える優れものだ。
これだと会話は明瞭、FAXの切れも無い。
ただし情報伝達能力は会話データ程度なので、写真をFAXで送った時には凄い時間 を必要した。
A5サイズで10分以上掛かってしまった。

此れは日本のKDDで手続きをして持ちこんだが、プロジェクト事務所に出入りして いる顧客マネジャーを通じて次第に知れ渡ることとなった。
インドの電話局とすると自国の国際電話を使って貰えない事となり、利用料金を払え と言って来た。
また旧社会主義国で、パキスタンとの緊張関係もあり、スパイ目的にも使われかねな いと、当局からもCISFに調査指示が来ていた。
通常回線の盗聴や録音は難しくないが、インマルサットの盗聴は出来ないのだ。
しかし、何れも現地CISFのコマンダーと個人的に懇意にしていたお陰で無難に乗 り切れたのだった。

(オリジナル:1997.11.15、編集:2000.5.9)

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