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インドからだよ〜ん-V

*** 通関業者 M.DAS ***

通関業者のM.DAS(左の写真)は我々にとって便利な存在であり、このプロジェク トの成功も彼の活躍に負っている所が大きい。
3回目のインド着で、M.DASは約束通り出迎えていて、もう一組別の日本人も客 として通関の便宜を図っていた。
会社はインドの政府機関と契約しており、我々がプロジェクト実行の為に必要な日本 食や生活用品、納入機器、部品類は全て関税を免除されているが、その書類だけでス ムーズな入国手続きや通関検査が出きる分けではないので、M.DASに手数料を支 払って手続き代行をして貰う形としている。
実際その手数料から税金として幾らがインド政府に払われ、賂として幾ら渡され、 M.DASの手元に幾ら残るか、それには感知していない。
時々M.DASから日本製カメラ持参の依頼があったり、カレンダーが出きると40 本のオーダーがあったり、年度変わりには新たな根回しが必要となっていたことか ら、実際行われていることは想像に難くない。

M.DASの役割りは空港内に限らず、空港からカルカッタ市内のホテル迄、そして サルボニ往復の足となる車の手配をシティサービスを使って行い、また通常なら1泊 150ドルはするホテル料金を顔で120ドル位にし(当然其処からもM.DASは バックを受けているに違いない)、更にはインドでトップクラスのタージ・ホテルを インド人価格として120ドルで泊まれるようにもした。
タージの通常価格は200ドル以上である。更に更に我々がゲストハウスで消費する ビールやウイスキー、コカコーラ等の飲み物類、そして冷凍海老や牛肉類まで、田舎 のサルボニ村ではとても手に入らない類の物を厳選して調達し搬送を遣って貰ってい る。
何れも日本で買う値段と比べると半値以下だが、M.DASの懐に入る手数料はイン ド社会の相場で莫大なものであったに違いない。

この日、M.DASの客は我々だけでなく、他に住友商事の人が夫婦で来ていて、本 人に聞くと今年から現地駐在として赴任したとか。
奥さんは今回が初めてで、何か不安そうな顔つきが印象的だった。
バブルの頃、日本の商社はボンベイを中心として大都市の滞在者も多かったが、最近 はカルカッタのような地方都市では所長一人で20人位の現地人を使っている。
更に丸紅の場合は最近マドラスの所長をも兼任するようになった。
それだけ民間は切り詰めて遣っているのに比べて、インドは何と大らかなことか。

M.DASの日本人客は次第に増えて来て、一昨年カルカッタからサルボニの先2時 間ほどの特急プルリアの終点プルリアから、更に車で2時間の所にダム建設を始めた チームも加わった。
更に昨年には、カルカッタの南西に当たるハウラの港で三菱グループが港湾の工事を 始めた。
このチームの日本人は常時50名程のようで、始めるに当たって先輩格の我々から情 報を得て行った。
最初の頃はホテルでチェックインした後、部屋まで一緒に来てくれたM.DASだっ たが、此れほど客が増えると手が回らないと言うか客の扱いも雑になってくる。
今年の1月、11回目のインドでのこと、出迎える筈のM.DASが来ない。
前にも「今回の入国審査官は顔が利かないから」と入国審査だけは通常通り列に並ん だ事はあったし、入国審査が済んだ頃にM.DASが遅れて来たことがあった。
例によって預けた荷物は全部で4個あり、他に機内持込荷物も二つあった。
しかもこの時にはロータリーコンベアを二つ使っていたから、込み合う中をインド人 を掻き分け掻き分けコンベア間を往復して心身ともに疲れてしまった。
30分以上掛かって荷物を引き取った後も、結局この日M.DASは現れなかった。
今まで通常の手続きとして税関検査を受けたことはないし、宇野製作所から預かった 荷物だけでも30キロはあり、言葉の問題もあるし、とても一人で乗り切れそうにな い。
インド人は信用仕切れないからと此の日の為に用意していたM.DASの写真をM. DASと同業の者に見せ、「この男は今日居ないのか」と聞いたら、”此れは好都合 な客が来た”とばかり、「彼は居ない。俺が代わりに遣るから付いて来い」とばかり に、キャスターに荷物を積んで税関へ向かった。
税関職員にもM.DASの写真を見せたら事情が判ったらしく、口元を曲げて笑みを 見せたがスンナリとは通して呉れなかった。
先ずは30キロのダンボール入り荷物で、予め宇野製作所に用意させておいたインボ イスを見せたが、レントゲンを通せと言う。
そして何か質問をして来たが巧く答えられない為に結局はオープンとなってしまった。
彼等役人の立場としては無理もないと諦める一方、何とか早く済ませたい所だった。
その場で一番偉そうな役人が、私にインドルピーは幾ら持っているのか尋ねて来た。
2000ルピー程度しかない。
若しかして賂の要求かもしれないと、壁際に連れて行き、洋服でブラインドを作って 500ルピー札を見せ、「要るなら?」と示したら、直ぐに気色ばんで否定し、「直 ぐに財布をしまえ」と言ってきた。
どうやら真面目な検査官に当たってしまったのか。
ドルでも良いからと関税を支払わなければならない雰囲気だったが、結局の所、後程 M.DASを通じて支払うこととなり、宇野製作所のインボイスに私のサインをして 渡し、開放された。
空港出口通路を挟んで用無し連中が群れている中に、M.DAS手配のシティサービ ス運転手で顔見知りのシン(この男はモスレムで同じモスレムの妻とヒンズーの妻が 居るのだとか。羨ましい社会だ)が居た。
M.DASの奴め、私が来る事を知っていて手を抜いたのだ。
許せない。
荷物を車に積んだら世話をして呉れた通関業者から手数料を請求された。
少し多いかと思ったが100ルピー渡そうとしたら、300ルピー要求された。
また荷物を積み込む際に頼みもしないのに手伝った者からも手が出てきた。
幾らだと聞くと100ドルと言う。
其れが相場なのだとか。
冗談じゃない。
此れがインド流のダメモトと言うもので、奴等は口から出任せを平気で言う。
とは言っても回りは全てインド人だし不測の事態は避けねばならないから、100ル ピーを渡して車に乗り込んだ。

話を3回目のインドに戻す。 空港でM.DASは住友商事の夫婦連れを車で送る手配を済ませると私の車の助手席 に乗り、ホテルへ同行、チェックインの書類のアシストもしてくれて、部屋に入って 落ち着くまで居てくれた。
今年1月の扱いとは大違い。
翌朝はこのM.DASも既にサルボニに行っている営業の相原参事に用事があるとか で、彼の車で同行となった。
何時もハイヤーしているインド産ジープのアルマーダと違って少し大きいジープだ。
SUMO(相撲)と言って三菱パジェロが現地会社と提携して作っているTATAと 言うメーカーでクッションもアルマーダと比べれば良かった。
同乗者が居るのは良いが、プアー・イングリッシュでは話も盛り上がらない。
前回のインドで撮影した8ミリを編集して持ってきていたので、8ミリ撮影機をビデ オ・モードにし、M.DASが映っている所を見せた。
そうしたら全部見せろと言うので最初まで巻戻し、約40分ものを見せた。(「イン ドからだよーんU−9」でお知らせしているように希望者にお貸しします)
見終わって最後の「NO MORE AIR INDIA」のテロップを見て、「確 かにその通り」と、口元を曲げていた。
そして、「日本のビデオは幾らするのか」と言う。
どうやら買いたいらしい。

インドの役人の給料(2〜3万円)と比べても3〜4ケ月分位はするビデオだが、 M.DASにとっては何の事はない。
4回目のインド行き(その年の10月)の時には早速最新式のディスプレーの向きを 自由に変えられるのを持っていた。
M.DASはインド人の中でも遣り手に違いない。
インド社会の常として、奥さんと子供(左の写真)の他、 T.DASの兄弟(左下の写真)達親戚一同少なくとも10人 位はM.DASの稼ぎにぶら下がっているらしい。
経済力や力のある者の所に何人もが集まり、来るものは拒まないのが又インド社会で もあるようだ。
そのM.DASの稼ぎ具合を推し量る例として、昨年(1999年)5月にサルボニ から15名ほどがバスを仕立ててカルカッタで休暇を取った際、我々とM.DAS一 族の為にチャイナタウンの一流料理店を昼食用で貸切り、その料理代として、ホッチ キスで止めた100ルピー札100枚の束で支払っていた。
庶民の1日の食事代は10ルピー程度だから、一人一食400ルピーは破格だ。
またその日の夕食は彼が最近買ったと言うマンションに我々を招待し、何処かのホテ ルの料理人を呼んで作らせたインド料理の振る舞いがあった。
味は素晴らしかった。 そのマンションは所謂2LDKで1200万円だったとか。
エレベータ付き4階であった。
我々がM.DASと付き合い始めて約3年、そのマンションは我々がプレゼントした ようなものだ。

話は横道へ逸れたが、M.DAS同行のサルボニまでの道は極めて順調で、ほぼ3時 間で着いてしまった。
何度も来ているM.DASもこれは新記録だとか。

(オリジナル:1997年6月1日、編集:2000年4月28日)

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