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インドからだよ〜ん-U

陸の孤島

拝啓 セクレタリ殿
日本に居れば土日の連休を迎えてノンビリとしている所ですが、昨日仕事が終わった 所で着る下着が無くなって、夕食前に洗濯をしました。
洗濯機は3台あるのですが、20名近くも居るものだから、重なる時には洗濯場に行 っても先客が居たり、空いたなと思って行くと、屋上にある貯水タンクの水が無くな って洗えなかったりです。
此処は部屋4つに一つの貯水タンクがあって、一日に3回、午前7時、昼12時、午 後6時に給水されるのですが、一定時間だけ給水して、その間にタンク一杯になると オーバーフローから溢れるのに、空になったタンクには一杯にならずに給水が止って しまうものだから、次の給水時刻までに使い切ってしまう事もあるわけです。
先週は向こうの部屋のタンクが一杯にならずに、シャワーが使えないとか、トイレが 流せないなどクレームがついたのですが、そちらのバルブを少し開いて水が沢山出る ようにしたら、今度はこちらの部屋の水の出が悪くなって、ここ何日かは後からシャ ワーを使う人の水が無かったり、その侭朝の7時前まで給水が無いので早く起きた人 の洗面の水が無いなど困ったものです。
タンクが一杯になった所からどんどんと溢れてドブに捨てている一方で、足りない所 が困っているなど、本当にチグハグです。
水が少ないのだから時間給水は仕方ないにしても、ボールバルブなど付けて一杯にな った所だけでも止めたら良いのにと思います。
出る量のバランスを取ろうとしても、コックがまた不良品で、いくら回しても水が止 まらなかったり、握りが付いているのに手では全く回らなかったりと酷いものです。

何日か前から宇野製作所の吉田課長の部屋のシャワーに付いている電気ボイラーが働かな くてお湯が出なくなってしまいました。
こちらのメンテナンスの係りに言っているのですが、さっぱり直りません。
マネジャーのビスワナタンが身体を悪くして休んでいるとか、やはり面倒見の良い彼 が居ないとゲストハウスは駄目です。
彼も来週は出てくるらしいから良くなるでしょう。
その間に吉田さんは別の部屋に移ってしまいました。

此処は本当に陸の孤島で、物が簡単に手に入らないのですが、持ってきているお米 も不足してきて、明日までの分位しか無くなっています。
日曜日には飯塚次長他が20キロ程のお米を携えて来て呉れるので一息つきますが、 人数が一段と増えるので、それだけでは3〜4日しか持ちません。
その後に送って来る100キロ程が頼りです。

こんな場所ですから、アルコールだけは飲み放題でウイスキーが切れる事は無かっ たのですが、2週間前に私がカルカッタから運んできたシーバスリーガルの12年 物、2リットル瓶3本が一昨日迄で飲み干してしまいました。
夕べはウィスキー好きの人も缶ビールで我慢しています。
このウィスキーも日曜日に来るメンバーがそこの免税店で仕入れてくる事になってい ますが、やはり一週間位で無くなるのでしょう。
何せ飲むしか楽しみが無い所なので、これが無くなるとゲストハウスも空になりま す。

此処では食べる物に贅沢は言っていられません。
私は普段日本ではダイエットでお米のご飯は殆ど口にしていないし、惣菜も魚中心だ ったですが、此処では3食共にご飯と味噌汁中心で、魚は偶に出る冷凍マグロの鉄火 どんぶりや、やはり冷凍の小エビ位で、肉となると鳥になります。
当然鳥の皮は嫌だなどと言っていられません。
でも昨晩の夕食には珍しく牛のステーキが出ました。
ヒンズーの国だから野良に牛がぶらついており、材料はそこら中に沢山居るのですが、 中々口に入るようには売っていません。
しかしカルカッタまで出るとイスラム教の人も結構居るので、その人達が食べ る物として売っているのだそうです。
多くのインド人は靴や鞄を牛皮を使っていても平気のようで、そのへんが良く分り ません。

物も無いし情報も英語のテレビだけで、世の中の動きも判らず、浦島太郎状態で す。
(セクレタリの)佐藤さんは元気になって職場へ復帰しているのだろうか、ペ ルーの人質はまだ人質の侭なのだろうか、日本海の重油は未だ漂っているのだろう か、清原は巨人で意地悪されていないだろうか、などなど。
でもそんなこと知らなくとも生きていくには支障ありません。
日本の生活と比べると色々と問題はあるのですが、生まれた時からベンガルに住んで いる人達から見れば、ゲストハウスは天国に違いありません。
いや天国か地獄かなども彼らにとっては心を煩わすことでなく、ただ自然と共に生き ているのかもしれません。

私は今回未だ1週間目だったので行けなかったのですが、1月初めから来ている人 達は規程によって先週の金曜の夜からカルカッタへリフレッシュ休暇に出かけまし た。
残ったのは外注業者の4名とコックの須藤さんの合計6名です。
食事はテーブル1個で良いし、どうせなら鍋でもしたらと、金曜日の夕食は寄せ鍋に なりました。
結構色々と材料もあったしこの日ばかりは純日本風の夕食で、行ってしまった人を肴に しての酒もまんざらではありません。
夕方6時に出かけた彼らはホテルに着いたのが11時過ぎだったとか、その頃は残った 人達はホロ酔いで、こちらも気分転換になった次第です。
次の日の夕食は惣菜が二皿付いたので、須藤さんに「私が来てから初めてだね」と言っ たら、その後、ここ一週間で二皿の日が2回ほどありました。
食材にしても器にしても少ない中で何とか遣り繰りして須藤さんも苦労しているようです。
私は話し相手に良いらしく、色々と話してくれますが、吉田部長も近々来られるとの 事を聞いて、今度じっくり酒を酌み交わしたいと言っていました。

日本の建国記念日とは一日ずれてこちらも12日は祝日で休みだったのですが、私 は電話番となりました。
自転車でサルボニの村に出かけた人の話だと、女神様みたいな人形を作って人が沢山 出ていたとか、その後も2〜3日は夜中も遅くまでスピーカーの音がうるさく鳴り響 いていました。
私の部屋は北の角でサルボニの村に一番近く、夜も寒いし騒々しいし鈴木課長も良く 茲の部屋で我慢していたと思います。
昨日の夕食後に食堂に残っていたら、どやどやと工場の人達が沢山押し寄せて来ました。
肩から太鼓をぶら下げた人もおり、鳴り物入りの大集団です。
食堂に居た我々を招き出すので、何かと出てみれば、一人ずつ袖を取って踊りの輪の 中に引き摺り入れられてしまいました。
どうやら祭りの最後で神様の野辺送りみたいな物のようです。
阿波踊りのようなフラメンコのような独特の騒ぎようで、イギリス人のシーブロックも タッカーもすっかりと乗ってしまい、部屋へ引き上げていた外注の連中もカメラを 持って飛び出して来た騒々しいひと時でした。

こんな状態ですが、私が来る直前に種まきをした「葉だいこん」もすぐった葉を味 噌汁に入れて二度ほど春を味わっています。
船田係長がカルカッタへ行っていた間は私が水をかけていたので、美味しさも一入です。
こんな状態ですが、全員何とか元気にやっています。
やはり帰国まであと2ケ月はかかりそうです。
それまで私の机はあるのでしょうか。

 敬具  (1997.2.15)

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