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インドからだよ〜ん-U

二日半かけての到着

無い!無い!AI(エアー・インディア)のチェックイン・カウンターが無い。
出発2時間余り前だから、もう始まっている筈なのに無い。
二月一日午前9時半、成田第二ターミナルでのこと。
電光掲示板を見る。
「明日運行」とある。
冗談じゃない。
一体どうなっているのか。
案内嬢に尋ねる。
「こちらには連絡が入っていないのですが、10時から説明があるようですよ」と Eカウンターを指された。
見ると何名かがEカウンターを囲むように列を作っている。
そうか、取り敢えず並ぶか。

10時もかなり過ぎてAI便のカウンターが準備され、張り紙も出された。
どうやらチェックインは通常通りして、成田のホテルで待機となるらしい。
一度帰って明日に出直すかなー。
どっちにしてもインドと連絡を取らなくちゃならない。
ホテルの方がいいか。
ホテルにしよう。
決定!。
送ってくれた妻の車で成田市街まで戻り、ファミリーレストランで昼食とする。
暫し別れの夫婦水入らずだが、内心は亭主元気で留守が良いなんだから、今日もホテ ルで泊ってくれて良かったと思っているに違いない。
明日も送りだと日曜日だと言うのにゆっくり寝ていられなくなる。

収容されるホテルは空港入り口の直ぐ近くで、ホリディ・インに沿って入ったウイ ンズ・ホテル。
三日月を三つ、背中合わせにしたような建物で、客室320とある。
全室ツインルーム以上で、1名様お泊りでも12500円にサービス料と税金がかか るらしい。
観光でもなければ自腹では泊れない。
昼食を済ませてチェックインしたのだったが、食事券を渡された。
午後3時迄になっている。
いま食べたばかりだしレストランは混んでいるし、バイキングらしいか ら後でコーヒーでも飲みに来よう。

それより、先ずはインドと連絡を取って迎えなどを変えて貰わなくてはならない。
バックのノートパソコンを取り出してメモリーされた連絡先を読み出す。
一発でサルボニ・オフィスが出るかどうか、これからの命運の占いになる。プッ・ プッ・プッ…と来て、プーとなった。
あぁお話中だ。
土曜日だから会社との交信は無い筈だから、途中で混んでいるのかなー。
もう一度トライ。
今度はつながって営業の相原参事が出た。
事情を話して、空港での通関業者のダスさんや、迎えの車にホテルにと変更をお願い する。
これで当面の課題はクリァした。
そうだ、これはサバイバル・ゲームなのだ。
ゴールは無事にサルボニ・ゲストハウスに入ることだ。

食事は3時までと言うので2時半になって下へ降りて行った。
ところがIA便の客で満員の為に登録だけして「お部屋でお待ち下さい」と来た。
仕方が無いが余りお腹も減っていないから丁度良いか。
そのうちに連絡して呉れるだろうとノートパソコンのゲームで暇をつぶす。
ところがぎっちょん、1時間経っても何の連絡もない。
また忘れられちまったかなー、と再度下へ降りて尋ねる。
係はリストを見て「あと4組目ですから間もなくと思いますので、そこのロビーでお 待ち下さい」と来たもんだ。
中を覗くとかなり席は空いている。
何でもっと早く入れないのだろう。
私は外で食べて来たから少し位は待っても大丈夫だが、殆どのAI便の客はここでの 昼食だけだろうに、対応の悪いホテルだ。
と思いつつソファーで本日の新聞などを眺めているうちに、お呼びがかかった。
前の3組が入った様子も感じられなかったから、こちらで催促したから呼び出したの かもしれない。
ひょっとすると私より後で登録した人も催促されてどんどん割り込みさせたのか。
しかし、ホテルのバイキングだけに料理の味はまぁまぁだ。
急いでインドへ行くこともない人にとっては、たっぷりと美味しい物を 食べさせて呉れる良い機会だったかもしれない。
部屋への戻りがてらに、AIからのお知らせでも掲示してないか探してみたが、それ らしい物は何も無い。

部屋へ帰ったが未だ3時過ぎで、ここじゃ観光する所も無い。
部屋の中を物色すると、冷蔵庫に缶ビール2本などと共にドリップ・コーヒーがある。
湯を沸かして飲む。
果たして冷蔵庫の中は個人負担かAI負担か。
有料テレビの案内がある。
3チャンネルあって、衛星を使って番組を送って来ているらしい。
アダルトは夕方6時からだが、ホームドラマは午前9時からとなっている。
確かに放映中のランプが点いている。
どれ、暇つぶしに寅さんでも見るか。
所が、ガイドに従ってリモコン・スイッチを操作しても無料テレビしか映らない。
おかしいなー。
テレビに近づいてマニアル・スイッチを操作するがやはり映らない。
これは一体どうなっているんだい。
ハウスキーパーに電話を入れる。
男性が電話に出る。
事情を説明すると、「当ホテルでは午後6時からとなっています」との説明。
「番組表も配布されていて、テレビにも放映中の表示がされているのに見れないの?」 「そうです。申し訳ありません」こりゃ駄目だ。
ホテル案内と一緒にアンケート用紙がある。
暇に任せてレストランの件とテレビの件を書き記す。
どうせなら暇に任せて責任者を呼んでしまえ、とフロントに電話を入れる。
「どなたかマネージャーの方は居ますか?」
「どのようなご用件でしょうか」
「電話では言えない内容なんで、苦情なんですけれど、責任者の方に部屋まで来 て欲しいのですが」
「はい、只今直ぐに参ります」何分で来るだろうか、時間を計っておこう。
3分でドアがノックされる。
まぁ合格レベルか。
ドアを開けて入れるが、一歩中へ入っただけで、ドァは開けた侭にしている。
密室としない配慮なのだろう。
「先ずこれを見て下さい」と書いたアンケート用紙を手渡す。
しばしの静寂。
おもむろに「申し訳ありませんでした。勉強させて戴きます」と、帰りかけるので、
「まだ外にも有るんでねぇ、泊りたくて来ているんじゃないし、料金はAIが払うんだか ら、我々は客じゃないのかもしれないけれど‥‥」
「そんな事はありません」
「夕食はどうなっているの、また昼のように待たせるつもりですか。
それから、電話代とか冷蔵庫の中身とか、有料テレビなど全部AIが負担してくれるんだろうね。
貴方等もこういうの初めてじゃないんだろうから、こちらから聞かれる前にどのような扱いと なるのか、チェックイン時に渡すなどしたら好いんじゃないの。
ロビーに掲示している訳でも無いしねぇ、貴方の名前と役職は?」などなど、あまり苛めてこれ以上サー ビスが悪くなってもつまらないので、ほどほどで開放した。

この様な場合には、宿泊代に食事代、それに国際電話か国内電話の何れか最初の3 分間は航空会社負担なのだと言う。
その外の冷蔵庫の中身や有料テレビは個人負担とのことだった。
ドリップ・コーヒーがもう一つあったが、自己負担と言うなら差し湯で飲もう、と はちょっと染みっ垂れているかな。
チェックアウトで清算なら、レシートに書いておかなくちゃならない。
どーれ、と備え付けの鉛筆で書こうとしたが、先は尖っているのに書けない。
なんじゃこれは。
良く見ると鉛筆の不良ではない。
鉛筆削りに入れる際に、斜めに押し込んだものだから、芯の中心がずれて削れてしま い、先端が木質になってしまったのだった。
全くもぅ!このホテルでは自分の仕事に対する誇りが持ててないのかねぇ。
仕事をしている振りだけで、お金を戴ける仕事になっていない。
あの金子とか言う何とかチーフをもう一度呼んで説教をしてやろうか。
と、気が付くと、足元の入り口のドァの隙間にメモ用紙が差し入れられている。
見ると、夕食の食事券をフロントで受け取るようにと、明日の予定として、5:30モー ニングコール、6:15バスでホテルを出発などの案内が記されていた。
私が言ったから全員に配布したのでもなかろうに、勘弁してやろう。

夕方6時過ぎ、レストランで夕食。
今度はバイキングでなしに定食になっている。
スープ、パン、薄っぺらいステーキ、コーヒー。
これだけでは足りないが、旅の途中の食べ過ぎ飲み過ぎは禁物なので、良しとしよう。

翌日、モーニングコール前に起床。
5時半はいつもと変わりない。
6時前にチェックアウトに降りて行った。
列は4〜5人程度。
早めにバスに乗るが、予定の6時15分を過ぎても出ない。
飛行機は7時30分とか。
バスは6台位来ているのだから、早く来た者から出たらよいのに結局は全員揃う迄 待って、ここで既に30分の遅れ発生。
AIだから仕方が無いか。
佐藤専務はこれでもよくAIファンで居られるねぇ。
インドの関係者に対して「私はAIファンなんですよ」と言うだけの為に、全ての不 自由さやサービスの悪さを耐え忍んでいるに違いない。

出国手続きはAI便の客だけだ。
こんな朝早くから飛ぶ便なんて、ありゃしない。
免税店も開いていない。
もう少しお土産を見繕っても良いかと思っていたが買えない。
まぁマネー・セーブで良いか。

サバイバルゲームの次の関門は日本を離れることにあるが、機内持ち込み荷物の チェックで引っかかった。
インキの粒度を計る測定具が重さ5キロはある鉄の塊で出来ているから、何か飛ん でもない物と思われても仕方の無い事だが、係りの女性がバックを開けて、中を覗 くでもなく上から一つずつポーチからパソコンのマウスから電源ケーブルから、土 産に買ったキーホルダーの束に、モルトウイスキーにと、どんどん出してテーブル の上一杯に店開きをしてしまった。
さすがに我慢出来ず「どんな物を探しているのですか」
「何か金属なのですが」
それなら初めから言ったら良いではないか。
ガムテープで外れないようにした粒度計の蓋の留金を開いて「はい、どうも有り難う御座いました」
やれやれと思う間もなく、AIの待合室入り口でもチェックがある。
先ずはボディチェック。
そして荷物検査だ。
前の人は結構念入りに調べられている。
あぁまた此処でも店を広げられるのか。
観念してどうでも遣ってくれ、と思いの外、ファスナーをさーと開いて、両サイド から中を覗いて、それでお仕舞。
インド人は好い加減なのか、それともこれだけ重たい物だから、前の検査で開いて いる筈と思ったのか。

予定の時刻近くになって、クルーが乗り込んで行った。
ゲートの前に列を作る人が一気に増える。
しかし間もなく7時半と言うのに一向に乗せる様子はない。
「AI便ご利用のお客さまにご案内致します。搭乗機が予定より遅れて到着した関係で、 皆様の飛行機へのご案内はあと10分ほど後とさせて戴きます。」
なんだ、おかしいな、昨日は機体整備の為に明日になると言っていたのに、昨日は成 田に来ていなかったのだな。
するとインドからの鈴木課長らも一日遅れになったのか。
この便は金曜日の夕方にインドを出て、土曜日の朝に成田着。
そして昼にトンボ帰りでインドへ向かうようになっている。
インドの宿舎は満杯の為に、誰かが日本から行く時は誰かが向こうから帰って入れ替 わりとなる事が多い。
従ってこの飛行機で帰って、別の人が同じ飛行機でインドへ向かう事になる。
今回は鈴木課長と私が入れ替わるわけだ。
後で判った事だが、鈴木課長の便はインドを出た後で、給油でバンコックで降りて、
再度そこを飛び立ってから機体異常によりバンコックへ引き返したのだと言う。
深夜にバンコックのホテルに収容されて、早朝に向こうを出てきたと言うから、未だ 私の方が良かったことになる。
鈴木課長もお疲れ様でしたねぇ。

何とか、サバイバルゲームの一つをクリァして飛び立った。
前回は嫌らしいインド人が隣の席だったが、今回の隣は空席になった。
重い大きな荷物もあったから、空席で良かった。
これで少しは運が上向いて来たかな。

次なる関門は通関業者のダスさんが連絡良くカルカッタ空港へ出迎えてくれるか だ。
何せ、一日遅れと言っても通常なら夕方7時過ぎに着くのが、4時間早く3時に 着いてしまう。
土曜日朝の変更連絡だったが、丸紅カルカッタは土曜は休みで連絡が付いていない かもしれない。
ダスさんは何処かへ行く予定が前からあって対応してくれないかもしれない。
そんな事を考えたらキリがないが、一応は来ない事も考えておかなくちゃ。

結局1時間遅れてカルカッタ着。
前回同様にファーストクラスは一人だけで、2番目にタラップから降りる。
コンクリートのエプロンを50メートル程、重たいバックと会社の紙袋を持って歩か される。
空っぽの筈の入国審査窓口に結構人が群れている。
少し前に英国航空便が着いていたのだった。
ダスさん、ダスさん、ダスさんは居ないか。
居ない!こりゃ心配事が現実になって来た。
取り敢えず突き当たりの黒いソファーで、目印の会社の手提げを良く見えるようにし て待つ。
随分長く感じた4〜5分だったが、居たー!前回は向こうから声をかけられたが、今 回はこちらが早くダスさんを見つけた。
ダスさんにパスポートと入国カードを渡して入国の判を押して貰う。
機内持ち込み荷物のバックをレントゲンに通してそこを過ぎ去る予定が、やはり と言うかさすがと言うか、レントゲンに映った真っ黒な塊を指して説明を求められ た。
「スチールの測定器です」
「どの位の滞在なのか」
「1ケ月位」
横でダスさんが何やら口添えをして通して呉れた。
助かったー!

先に着いた英国航空の手荷物の引き取りが続く中で、こちらの手荷物も出て来た。
例によって手押し車にスーツケース、ダンボール二つにバックなど山程の荷物を乗せ て、ダスさんが押す後ろを付いていくだけで、大助かり。
出た所でサリーを纏った美人に声を掛けられた。
「AI便ですか?」
日本語の問いかけに思わず「YES!」と答えてしまう。
身なりはインド人風だが、明らかに日本人女性だ。
「大変でしたねぇー」
「はぁー」異国での大和撫子に心が安らぐ。
通りに出た所で車を待つ。
丸紅の茶色の高級乗用車を差し向けてくれていた。
ダスさんはここでバイバイ。
30分でパークホテルに着く。
午後5時になろうとしていた。

次なる関門はホテルの予約変更がされているかだ。
チェックインカウンターで名前を名乗る。
若い女性だ。
「会社は?」と聞いている。
「丸紅、または小森」
ブッキングされていないらしい「昨日予約の変更をした。エァー・インディアが一日 遅れたのだ」と言ったつもりなのだが、それで通じたのか、予約のリストを調べるの をやめて宿泊カードを出して来た。
やれやれ、これでこの関門も通過出来た。

次はサルボニの相原参事への連絡だ。
ダイヤル直通になっているかな。
交換を通すとなるとこちらの意図が通じるかどうか心配だ。
部屋で見ると、9のダイヤルで外線となっている。
やれやれ。宝物のノートパソコンを出してゲストハウスの番号を調べる。
そして一回目、プープープー。
お話中か。
ゲストハウスの電話は調子が悪いと言っていたから駄目かなぁー。
そう思いながら、もう一度トライ。
今度は呼んでいる。
でも誰も電話に出ない。
5時だから何処かへ出かけているのかなぁ、と思っているうちに10回ほど呼んで切 れてしまった。
また後で掛けるか。

夕食の時間だが、成田からカルカッタ迄の間に遅い朝食と現地時間に合わせた昼 食を食べて、更にバンコックからカルカッタへ向かう飛行機で更に遅い昼食を食べて いる。
今日は3回の食事を既に済ませている。
旅行中の食べ過ぎは禁物だ。
機内で貰ったチーズやクッキーで夕食としよう。
だけど、飲み物は何か欲しい。
ダンボールを開ければ売るほど色々とあるが、紐は切りたくない。
そうだ!ダスさんから、サルボニへ持って行って欲しいと渡された「シーバスリーガ ル12年」を開けちゃおう。
どうせ我々が飲むのだから、栓を切るのが一日早いだけだ。
ただ、水は欲しい。
出ている水はカルカッタの水道水だ。
電話でルームサービスを頼む。
持ってきた。
チップを10ルピー渡して、やれやれ、これで少しは落ち着くか、と思ったのもつかの間。
ミネラルウォーターの口が切れている。
臨時の関門がもう一つ出てきた。
黙って飲んでも大丈夫かもしれないが、明日の移動は4時間もあるし、ここの所は遣 るしかない。
電話でルームサービスに掛ける。
「少し前にミネラルウォーターを頼んだが、別のを持ってきて欲しい」
「もう一本要るのですか」
「違う取り替えて欲しいのだ。これは既に開けてある」
と言ったつもりだが、通じたらしくて、同じボーイが一本持ってきた。
やれやれ。

現地の240ボルトを100ボルトへ変換するアダプターがあるとパソコンを使え るのだがと思いながら、洗面所を見ると、110Vの表示が付いたコンセントがあ る。
差込口も日本のと同じだ。
これならばここで充電して使える。
と早速ノートパソコンを取り出して充電してみる。
点いた!と思った瞬間、何やら「ボッ」と小さな音がして表示が消えてしまった。
テスターで電圧を計ると93ボルト。
少し低いなぁ、でも前からこれ位で使っていたしと、接触不良を願って調べたが、完 全にACアダプターからのDC出力が無くなっている。
ACアダプターが壊れてしまった。またまた関門が出来てしまった。
カルカッタで手に入らないだろうか。
迎えの運転手が判らなければ丸紅へ寄ってみよう。

寝る前に翌日の朝食の案内カードが目に入った。
ドアにぶら下げておくとルームサービスして呉れるらしい。
コンチネンタルを指定してドアのノブに下げて寝た。
翌朝の7時から7時30分迄の間に届けられる筈だが、来ない。
7時半過ぎになって、電話が掛って来る。
良く分らないが、忙しいから1階のコーヒースタンドまで食べに来いと言っているらしい。
冗談じゃない。
こっちは朝は食べないんだが、持ってくると言うから注文したんだ、キャンセルだ。
と言いたいのだが、英語で喧嘩は出来ない。
マネジャーへの専用電話もあるようだが、此処は日本じゃない。
成田のウインズ・ホテルのようにはいかない。

9時少し前、ベルボーイを呼んで荷物を運んで貰い、チェックアウトをする。
精算しながらイギリスから来るロイ・ホリマンと迎えの運転手を探すがそれらしい人は見 当たらない。
ロイ・ホリマンは9時と知っているのだろうか。
チェックアウトを終わってからフロントに尋ねた。
昨日と同じ若い女性だ。
ロイ・ホリマンはチェックアウトをしたかと尋ねたつもりだが、通じたのだろうか。
「丸紅か」と聞き返しているから、こちらの意図は通じているらしい。
だが、どうも否定の表情だ。
「昨日からロイ・ホリマンが泊っているか」と聞くと、また帳簿をめくっていたが、居ないとの表 情。
おかしいなー。
通じていないのか、それとも何かで泊っていないのか。
兎に角、少し待ってみるか。
玄関に積まれた荷物の前でしばし待つ。
荷物を運んでくれたベルボーイがけげんそうな顔でこちらを見ている。
運転手も来ないなんて、この関門は相当高そうだ。
困った!インド時間もあるから、30分は待つことにしよう。
それでどちらも来なければサルボニと丸紅とに電話だ。

20分待って、運転手が来た。
前回に来た時にサルボニからカルカッタまで送ってくれた運転手だ。荷物を積んで、 丸紅事務所に行って貰う。
丸紅で受け付けの女性に名刺を出すと横の応接に通される。
「ちょっと問題が出来たので、鶴田所長か桜井さんに会いたい」と言うと桜井さんが 対応してくれた。
前回お世話になったお礼を言い、今回一日遅れとなった様子を話して、ロイ・ホリマ ンがパーク・ホテルに泊っていないらしい話からした。
丸紅から迎えの車を出しているし、運転手から何の連絡も無いと言う。
その運転手に確かめてみようと、桜井さんが席を立った時に電話があった。
ロイ・ホリマンからだ。やはり泊っていたのだった。
迎えに車を出して貰う。

その間にACアダプターを何とか出来ないかと相談する。
AC100ボルト入力はインドであろう筈はないが、AC240でも良いから、DC 16ボルトが作れれば何とか自分で使えるように改造出来ると説明したが、この種の 機器はインドで殆ど需要が無いために、取り寄せでも直ぐには手に入らないと言う。
どうやら諦めて日本より取り寄せるのが一番早いらしい。
と一旦は完全に諦めたのだったが、サルボニへ着いて電気の沼内君に相談すると、 「あぁ、これと同じように森君のが壊れてしまって、ヒューズを交換するだけで直る と思いますよ」そして、準備良くスペアの3Aヒューズがあって、その交換で直って しまった。
お礼にと言っても皆で飲んで貰おうとしたモルト・ウィスキー位しかない。
夕食時にそれを沼内君に差し上げて、結局それは皆で飲んで、二晩目には無くなって しまった。
有り難う沼内君、これでサルボニでの私の仕事が出来る。

飛び込みで発生した関門も何とか丸紅の協力によってクリア出来て、サルボニへ向 かう最後の関門に入った。
ロイ・ホリマンはサルボニへは4〜5回目だと言う。
それでもこの道とこの運転には何とも慣れられないらしい。
正面衝突するかとの運転技術に何度も苦笑しながらの4時間足らずであった。
でも無事に着いた。
丸紅事務所を出たのは10時を過ぎていたが、サルボニへは2時からの午後の仕事の 前だったので、ゲストハウスで食事した後の各メンバーと合流することが出来た。
もう会えないよね、と言っていたコックさん。
やっぱり、また会ったじゃないですか。
皆さん宜しくお願いしますね。

と言う訳でゴールにたどり着きました
読者の方もお疲れ様でした。

(1997.2.9)
後日談:この2回目のインドは2ケ月余りの滞在だったが、その帰路、カルカッタか らバンコックまでは順調だったものの、バンコックを飛び立ち10分ほどの後、身体 が前後に少し揺れた。
其の後、客室アテンダントが、「只今エンジンから火を吹いたのでバンコックへ戻ります」 と振れて回った。
確かに同行した一人が右側後の席から、火を吹くエンジンを見ていた。
結局バンコック空港に不時着し、予定外のバンコックでの一泊後、翌朝のニューデ リー〜成田の直行便がバンコックに寄り、それで帰国となった。
不時着した我々が一番の被害者だが、直行便の筈がバンコック経由とされた便の人に も迷惑なことだった。
バンコックには予備のエンジンがある筈が、AIは民間航空協定に入っていない 為に自前で手を打つしかないのだとか。
結局は行きも帰りも二日半かかってしまった。
NO MORE AIR INDIA

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