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インドからだよ〜ん-T

日本へ帰ってきたよーん
行きは60キロ以上の荷物と一緒で憂うつも一緒の旅立ちだったけれど、帰りは同行者もありよいよいの旅となった。
例の恐怖の運転術を4時間余り堪能させて貰ったし、カルカッタではお椀を片手に哀願の目で何人もの乞食に付き纏われもした。
でも終った。少なくとも今回は。

帰国してから「最終版」を書こう、如何なる結論にしたら良いか、色々と考えながらの帰路でもあった。
しかし、自宅へ着いてそれなりに落ち着いてしまうと、何ともまとまりが付かない。
そうだ、そこにこそインドと日本との本質的な物があったのかもしれない。
理屈でなくて、体感によって如何様にもならないものとして。

持って行った60キロもの荷物の中身の全ては、インドで手に入らない物であったが、それでも高々60キロである。
60キロによってお米のご飯が食べられ、日本的な酒盛りも出来、日本へ来たインド人の笑顔を見る事も出来た。
でも1ケ月以上もの間の中では、ほんの一瞬でしかない。
大部分はインドでの環境として時間が流れる。
だから「インドからだよーん」も書けたのだった。
そう見るとインド人の特性として片づけていた事も、この環境の違いによって造られていることに気づく。
自宅で待っていた物の一つに、紙袋に一杯の郵便物があった。
定期の雑誌が2種類に、通信販売のパンフレット、クレジットカード関係のメール、喪中のお知らせ。
何れもインドに居ては、それだけでは何の役に立たない物ばかりだ。
もっともっと沢山の事を含めて我々日本人は実に多くの事を同時に考えながら、それらをそつ無く処理して行ってる。

このプロジェクトによって数年後にはインドで紙幣の流通が少しはスムーズになるであろう。
それで経済活動が活発になってくるかもしれない。
日本からの企業進出も増え、観光客も増えてくるかもしれない。
日本へ来るインド人も増えるかもしれない。
しかし、一方では現在10億人に近づいている人口が20〜30年後には20億人を超えるだろうと言われ、多くの言語と数え切れない程に複雑に別れているカーストに縛られて生きている人達にとって、文明は、持たなくても良い羨望やそこから生まれる諦めを作り出す面も持っている。
一日50ルピーで生活している人にとって、100ルピー札や500ルピー札は必要の無いものである。

このシリーズを通して、インドは何てヒドイ所なのだろう、と受け止めてしまった読者が多いに違いない。
丸田が日本人から見たインドを表現すると、結果的にそう見えてしまう事は否めない。
が、インドは日本以上に安全な国と思う。
日本は警察力によってそれが維持されているが、インドは国民性によって保たれていると思う。
サルボニからカルカッタへの帰り道の事だった。
例の運転術によって前のトラックを警笛で脇へ寄らせて抜こうとしたが、トラックは寄らないばかりか、抜こうとする当方の車に幅寄せ紛いな事までした。
運転手はエアコンを切って更にシフトダウンをすると一気に抜き去り、在ろう事か前へ出るなり車を止めさせて抗議を始めた。
すると後ろから来た他の車の運転手達も車を止めて成り行きを見始めた。
此方の運転手は扉と窓とを平手で叩きながら怒りを表わしている。
相手の運転手は只只伏し目で頷いているだけだった。
こんな事もあった。
やはりカルカッタからサルボニへ向かう道でのこと。
対向車が止って周囲の人もワイワイガヤガヤ、こちらの車も止った。
何と、対向車のトラックの下を1メートル以上もあるヘビが横断している。
トラックの下を木陰と間違えたかそこで止っている。
此方の運転手が降りていってワイガヤに加わった。
そこで一人が竹の様なもので追い出しにかかって、交通渋滞も解消された。

カルカッタ〜ボンベイのメイン道路上のことである。
帰り道に同伴となった山内君は、インドへ付いた日に、このカルカッタからサルボニへ向かう道で、何とも悲運にも交通事故の当事者になってしまった。
例の運転術だが、前へ前への運転で、車間距離が少ない所へ前の車にブレーキを掛けられた。
追突するよりはと、左へハンドルを切り、前の車は避けたものの民家の柱に接触してしまった。
丁度、村の中心部で色々な店が集まっている。
異国の人の物珍しさもあって、直ぐに村中が集まって来たと言う。
生憎警察官が巡察中で中々戻らず、車の修理もあって、長時間待たされてしまった。
その間に村の住民から座り場所を案内されたり、色々と差し入れがあったり、そこを発つまで大層親切にしてくれたと言う。
山内君は夕方サルボニに着く筈が、翌朝にやっとたどり着いたのだった。

この様にインド人の倫理感として、無為な殺生はしないとか、悪人を見過ごせないとか、困っている人を助け合うと言うようなものが感じられる。
迫害されても無抵抗を続けて侵略からの自由を勝ち取ったお国柄柄でもある。
多くのインド人はインド人だけの世界でそっと暮らしたいと思っているのでなかろうか。
自然の中で自給自足出来る生活で何の不満も感じないで生きていたのではなかろうか。
先進国と言われている国の人達が、おこがましくも何かをして上げると言うような、上から物を見るような態度は慎まなければならない。
彼らは彼らなりに精一杯遣っているのかもしれない。
世界の大きな流れの中で、このプロジェクトも一つの役割を担ってインドに経済面での影響をもたらすかもしれないが、少なくとも我々が身近に彼らと付き合う中では、彼らの持っているものを我々の基準で評価するだけでなく、彼らの環境によるものも理解した上で、付き合って行きたいものだ。
これが丸田がこの一ケ月余りの間で得た結論だ。
インドを如何なる国にするかは、先進国と言われる国の者が決める事ではなく、彼ら自身が考えて決めて実行すべきことなのだ。

--- 了 ---

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