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インドからだよ〜ん-T

ゲストハウスそして工場
 当地は北回帰線近くに位置し、今の季節(11月)は晩秋になるが、日本の気温に当てはめると晩夏の頃になるだろうか。
昼間の太陽は南の国だけあって結構日差しを強く感じる。
昼食で行き帰りするインド人が、骨が曲がって山高帽子のようになった黒のコウモリに相合傘で寄り添って歩いている様はちょっと滑稽だ。
インド人も日焼けを気にしているのだろう。
確かに日陰に入ると暑さは感じない。
爽やかな位なので、北海道の夏に似ている。
所が日が沈むと結構冷えて来る。
やはり大陸性気候なのだろう。
1時間の残業を終えて暗くなりかけた道を帰るインド人の格好は今の日本と変わらないどころか、12月末にも似ている。
セーターを着込んで、頭から首から何やら布を巻いている者も多い。
ゲストハウスには3交代で門番が詰めているが、夜9時から朝方の5時迄の二人は、厚手のセーターに目出し帽を被って、寒さに対しての完全武装をしている。
「寒いだろうから、ロビーの中に入って警備をしていたら良いではないか、時々外へ出て周りを見張ったら良い」と某君が言ったら、「我々を見張る役割の者が巡回して居て、中に居る所を見つかるとクビになってしまう」のだそうだ。
現実は厳しいものだ。
実際彼らの警備は役立って居るのか、と言うと別に武装しているようにも見えないし、殆ど防犯には役立たないそうだ。
では何の為かと言うと、泥棒に入った時に、「門番も置いていないのなら、当然の事だ」と、警察が相手にして呉れないのだと言う。
保険みたいなものだ。
門番に、運転手に、掃除の担当(それもテーブルの上を拭く係と床掃除の係が別になっている)に、コックに‥‥全て公平に一日50ルピーの賃金。
持てる者が何人も雇う事で、8.5億人分の仕事がこの国で作り出されていて、一種独特のバランスを保っている。

カルカッタから何時間も掛けて来た陸の孤島のような所だが、此処インドでは都市部と都市部を結ぶ街道があって、その街道から歩いて移動出来る範囲に人が住んでいるだけの感じだから、街道から離れた所は全て陸の孤島になっている。
このキャンパス自体は街道まで2キロ位だし、近くのサルボニ村まで4キロ位だから、外部と連絡が絶たれている訳でもないが、やはり此処は周囲5〜6キロの孤島だ。
周囲は高さ2.5メートル程のバリケートで守られ、二つのゲートには正真正銘のポリスが寝ずの番をしている。
外から入れないばかりか、一人で中から出るにも勇気が必要だ。
ポリスで守っているからにはそれなりの理由があるのだろうから。
歩いて日本へ帰れる訳ではないのだから、安全に自由に出入りしたいものだ。
東のゲートに近い所にゲストハウスがある。
外人用が16室にインド人用が10室、中の違いはトイレの方式が違うのと、外人用にはバスタブが付いている。
日本人にとってトイレの違いは洋式と和式の違いでしかない。
正面が食堂で楕円の円卓が3つあって、それぞれ6名位ずつ食事が出来る。
最初はエアコンも無くて蟲が何処からともなく入って来て酷かったそうだが、この涼しくなってから5機のエアコンが完備された。
蟲は今でも入ってきて、両サイドにある青白い誘蛾灯のある機械でジュィージュィーと音がしている。
夏の暑い日にはその下に蟲が山となって溜まったのだと言う。
食堂には19インチのマルチ(日本の方式とインドのパル方式の両方に対応している)のテレビがあるので、現地放送と日本から持ってきたビデオが見られる。
しかし現地放送の電波状態は悪く、スポーツ専用のチャンネルで裏番組のゴースト入りクリケットなどを見られるだけである。
日本のビデオは新しく来た人が最新の番組を録画してきた直ぐには皆で夕食中に見て楽しんでいるが、前に撮った映画等は人それぞれの好みもあって、見る人は少ない。
やはり個室にそれぞれ欲しい所だ。
玄関から左のドアを抜け、風が良く通って涼しい廊下を渡り、二階建ての居室棟に入ると階段がある。左右に別れて廊下を挟んで其々2部屋ずつ。
部屋の広さはシテイホテルの客室位でゆったりとしているが、中身は雲泥、月とスッポン。
それでもエアコンがあるし、蚊帳の吊れる木のベット、机、椅子、洋服掛け、洗面台にトイレ付きのバスタブと、一応は揃っている。
南の国らしく天井には直径1メートルもある扇風機がスピコン付きで備わっているし、生意気にも畳一枚分位のベランダも付いている。
しかし、湯に浸かることは最初から期待してはいけない。
一応お湯は出るが一杯になる頃には冷めてしまうし、第一パッキンが完全でないから入れるのと出て行くのと競走になってしまう。
トイレを使う度に床も水浸しになってしまうし、そのうち、天井の照明がケースごと落ちてくる。
怪我をしないように、上に何も無い所を探して居場所を決めなくてはならない。
階段横の洗濯用と、4室共用で其々屋上に給水タンクが付いているが、朝昼晩と時間給水になっているから、使いすぎたり漏水になるとそのブロックは水が出なくなってしまう。
玄関の右とか二階に立派な応接があり、既に応接セットも入っているが誰も使っていない。
二階にも応接がある。
また食堂の上にもホールがあるが、調度品の準備がされていない。
12月11日にオープンハウス(開所式)があって中央銀行総裁が見えるようだが、その時には此処いらの設備を使うのだろうか。
もともと我々の為に作ってくれたゲストハウスではなくて、このキャンパスで迎えるゲストの為なのだから、我々より重たいゲストが来た時には、我々は小さくなっていなければならないのだろう。
こんなゲストハウスだが、インド人から見れば破格の持て成しになっている。
やれお湯が出ないとか、毛布が足りないとか、よろず承り役になっている本来は機械メンテナンス担当のビスワナタン副課長だが、自分達の宿舎にはろくすっぽ家具も無く湯も出ないのに、日本人の世話に笑顔で対応してくれる。
贅沢は言えない。
それに、ここは一応食べ放題、飲み放題となっている。
費用は全部会社持ち。
御米や味噌・醤油・海苔などの日本食の材料は日本から送ってくる。
そしてサルボニ村へコックの須藤さんとアシスタントのヘモンが毎朝買い出しに行って、山と積まれた野菜から一握りの質の良い新鮮な物だけを厳選して仕入れてきて、日本の味付けで食べさせてくれる。
此処はインドだから、偶には辛くてハーハー言いながら食べる位は雰囲気があって善いじゃないか。
現地の川魚は蟲が食いついているから食べていないが、丸紅が日本向けに輸出する前に蔵出しして貰った一抱えもあるデカイ冷凍マグロや、カチンカチンになったエビに質の良い牛肉など、他の海外出張じゃ中々口に入りそうもない材料が、大きな冷凍庫に一杯入っている。
ビールは現地産だけど、アルコール度が8%もあるエビスビールも真っ青の代物を毎日飲み放題。
ジンやウイスキーが良い人には通関屋のダスさんのルートで何時でもOKなんだよ。
コーラやファンタにミネラルウォーターはEAPLが御用聞きに来る。
ただし、焼酎と日本酒は新たに加わるメンバー持参に頼るしかない。
日本酒は料理に使いたいと須藤さんも狙っているから、愛好者は自分で持参して、部屋でこっそり嗜むことだね。
殆ど毎晩が宴会みたいなもんさ。
だって、それだけが楽しみだからね。
特に一次帰国の○○さんが戻ってからはアルコールの消費が早いのだ。
一日ウイスキー1本のペースで無くなっていく。

紙幣製造工場へは、この工場で3台位しかない車のうち、2台に分乗して向かう。
ダスとその仲間達の運転だが、助手席には乗りたくない。
例によって飛ばせるだけ飛ばす。
此処には車が他に殆ど無いから歩く人と時々出会う犬位が交通事故の対象だが、何時かは痛い目に合うに違いない。
その時には乗っていたくない。
工場の玄関に入る迄には鉄格子の扉を3つ通らなければならない。
今は未完成の工場だから鍵は掛かっていないが、何れは厳重なる管理となるのだろう。
キャンパス内の真ん中に工場の敷地があって、やはり高さ2.5メートル位の塀が巡らされ、角角には刑務所宜しく監視台が立つ。
極めて厳重だ。
工場建屋の玄関には今から毎日鍵が掛けられ、制服のポリスが常時見張っている。
IDカードを胸に掲げていないと通してくれない。
入ると直ぐにロッカー室とトイレと食堂があり、その奥は網入りの更に鍵が掛かった鉄格子があって廊下に出る。
廊下は半完成紙幣部門のローセキュリティ・エリアと完成紙幣を扱うハイセキュリティ・エリアとが別々に平行している。
正面攻撃で忍び込む事は先ず無理だろう。
しかし、側面と背後はどうなのかと言うと、エリア毎に鎧戸が降りているから、ガスバーナーで2ケ所は焼き切らないとならない。
それに天井からカメラで監視されているし、紙幣がストックされている部屋は厚みが10センチ以上ある金庫の扉で其々ガードされているから、石川五右衛門でも難しいかな。

紙幣の製作工程を簡単に紹介しよう。
材料としては紙とインキだが、紙はイギリスのポータレス社からの仕入れ品。
左側に右向きのガンジーの透かしが入る。
紙幣の透かしは黒透かしと言って、紙の厚みで肖像画を描く高等技術だ。
日本の場合、黒透かしは紙幣に限っていて一般には使えない。
透かしの紙を真ん中に表と裏に薄い紙を張り合わせて作ってある。
それを知った偽札作り(正確には変造紙幣作り)が、表と裏とを剥がして別の紙を張って厚みを合わせ、自動販売機で使ったと言う。
偽物ではないから1万円が2万円として使えた。
知能犯それだけの知恵があるなら他に使え。
インキはインド製。
だから良くない。
少なくとも今は良くない。
前から紙幣生産をしているディワスの工場から来ているが、印刷してから1週間しても充分に乾燥しないから、次の工程で大迷惑となっている。
そもそもインキの乾燥とは刷ってから顔料を溶かしている溶剤(ベヒクルと言う)が蒸発(揮発)するのと、紙に染込む(浸透)のと、酸化して固化(酸化重合)するのとで進むが、充分に研究されていないらしい。
乾燥が悪いだけでなく均一さにも欠ける。
だまみたいな硬い所があって紙粉を呼ぶ。
版やブランケットの洗浄の為に何度も機械を止めなければならず効率が悪いし、乾燥不良にもなっている。
偽札かどうかを見分ける方法として透かしなどがあるが、辺りを暗くして紙幣のナンバー部分に紫外線ランプを当てると、元の色とは違った色をするのが本物だ。
蛍光塗料が入っているからで、インド紙幣の場合は茶色のナンバーが紫外線で明るいピンクに変わる。

さて、材料は紙とインキだけではないが、それらをオフセット両面印刷機にかける。
表と裏と版は4枚ずつだが、インキはもっと多い。
一般の印刷では色の3原色に黒を加えて4色だけで全ての色を作り出している。
中間の色はマネやモネが点描したように網点の大きさの組み合わせで作っているが、紙幣の場合は多くの中間色のインキを使うと共に、部分的にはレインボーと言って混ぜて印刷されているから、偽札での再現は諦めた方が利口だ。
10ルピーのインド紙幣の場合は表7色と裏7色を使っているが、機構的には其々で最高16色位は使えるようになっている。
尚、日本の1万円札の場合には表と裏とを別々に印刷し、表の場合は7版で14色位使っていると言うからもう芸術品の範疇に入る。
オフセットで模様(紋様)を刷るが、横に5列の縦に10枚で、一刷り50枚分が刷れる。
次はナンバー印刷だが、勿論50枚分(大判)の紙幣が別々のナンバーだし、次の大判も別のナンバーだ。
一枚の紙幣に左右同じ番号が印刷されているから、その印刷機は結構大変な代物となっている。
ナンバーが間違えてはならないので、一枚ずつ検証しながら刷るようになっている。
紋様の印刷後に乾燥してから20人余りの検査員が大きなテーブルに大判を一枚ずつ広げて検査をする。
部分的にも不良があると黒の太いフェルトペンでその部分に印をし、使える所は小切れにしてから番号を入れる。
ナンバー印刷後も15名位の検査員がナンバーの品質を調べて、不良の紙幣は後で別に作った紙幣と差し替える。
大判紙幣は次に仕上機に懸かる。
これは先ず100枚を1ブロックとして両サイドの捨てる部分をトリミングし、5列に短冊状にしてから更に細かく1枚の紙幣に断裁をして、100枚単位に帯を掛け、それを10個重ねて千枚束にしてから更に帯を掛けて透明のラップフィルムに包んで出来上がり。
箱に20個、二万枚の紙幣が更にラップされて列車で運ばれることになる。
この工程は印刷やナンバーが良い品質で出来たものだが、部分的な不良紙幣の為に、小切れの紙幣を分別する機械や、小切れの紙幣に番号を入れる機械などもあり、更に工程毎に何度も何度もカウンターで数えられる。

昔、銀行では1円でも計算が合わないと何時迄でも残業し、計算が合うまで帰れなかったと言う。
今はそんな事は無いに違いない。
何故ならば数十億や数百億もの金がある日突然に行員の不正によって使われたとの報道が絶えない。
そんなずさんな管理の銀行だから毎日の計算が合わない事くらい、簡単に闇に葬ってしまえるに違いない。
しかし、紙幣印刷の現場は厳しい。
一枚の不明どころか、機械に挟まって一部が切れてしまった残りまで、全部繋ぎあわせて揃うまで帰れないのだ。
もしナンバーの入っていない紙幣の切れ端でも偽札作りに渡ったとしたら、それは大変な物となる。
ナンバーが入った一般の紙幣からは同じナンバーの偽札しか出来ないが、ナンバーが無い物が手に入れば、写真製版で絵柄の版を作り、別にナンバーを入れれば偽札の発見は極端に困難となるのだ。

インド紙幣は新しい工場建設に平行してデザインの変更が進んでいる。
紙幣の種類としては1,2,5,10,20,50,100,500のルピー札があるが、あと2年程の間に、10ルピーのラインが4つ、20ルピー以上が各1ラインの合計8ラインがここサルボニで稼動する。
5ルピー以下はコインに代わっていく。
500ルピーは為替レートで1500円位だけれど、買える物の量からは5万円位の感じだから、一般民衆には殆ど縁が無い。
それが○秘情報では1000ルピーと5000ルピーも何れは出るらしい。
ホテルの宿泊代が4000ルピーと言う二重価格構造ではその必要性もあるか。
今迄のインド紙幣は透かし模様がインド国の国章であるスリー・ライオンの像(アショカ)だった。
国章とは国の紋章で日本の場合には桐のご紋になる。
その透かしが新紙幣ではガンジーになった。
表のデザインも今迄はインド国章がメインだったが、全てガンジーになっている。
それ程この国ではガンジーだけが偉人なのだ。
インドは他民族国家で、少なくとも15の言語が今も使われているので、紙幣にも其々の文字が行を為して札の種類を標記している。

共通語の英語かヒンズーが出来ないと外人と同じになっちゃう。
自分が出来ても相手が出来なければ同じだ。
ケララ(インドの南端部)では独立心が高いのか、心が狭いのかヒンズー(デリーを中心としたインド北部)語を教えていないものだから、ここベンガルへ来たアショクやラジッシはケララなまりの英語は話せてもヒンズーが駄目だから、店の者が英語を理解しないと満足に買い物も出来ない。
だからケララは田舎だと馬鹿にされてしまう。
大変な国だ。

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