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インドからだよ〜ん-T

プロジェクトの人達
 話をその1の終わりに戻そう。
カルカッタから4時間以上かけてゲストハウスに到着した所だ。
先ず出迎えてくれたのが吉田部長で、6〜7年前からこの商談を手がけてきた営業担当。
既に定年による退職時期を迎えているが、何としてもこのプロジェクトを見極めてから辞めたいと 言う思いと、会社としても今迄の経緯を一番知っている人だから、少なくとも成功の見通しが立つ 迄は居て貰いたいとの事で、老骨(失礼)に鞭打って頑張っている。
次に迎えてくれたのが小山主任で、現場を仕切っている責任者。
海外への数少ない紙幣印刷機納入のうち、ソ連邦がロシアに変わりながらも続いた商談で機械を設置し立ち上げた経験を有する。
そして奥谷君に鎌形君。
同期の二人だが、それぞれシート印刷機のベテランとしてオフセット機と番号機とを任せられている。
電気は沼内君。
NEC出身で、弱電は勿論のこと、強電もソフトもハードも何でもこなす。
インドにとってはかつての統治国イギリスからもこのプロジェクトに参加し、ゲストハウスに先住している人がいる。
オフセット機インストラクターのシーブロックさんは、紙幣用を含めてシート印刷機の経験が豊富で延べ36年にもなる。
大変気遣いの良い叔父さんで、新しいイギリスのメンバーが来るたびに色々と世話を買って出る。
奇しくも丸田とは誕生日が2ケ月違いで、息子も中学3年という共通項がある。
ナンバー機のインストラクターはロイ・タッカーさん。
16歳から勉学の傍らイギリス印刷局に勤め始めて9年間、ノウハウをがっちり携えてこのプロジェクトに参加している。
ナイス・ガイは見かけだけでなく、仕事もナイスだ。
日本人的な勤勉さもあって、メンバーに可愛がられている。
丁度この時は日本へ休暇で一時帰国中だが、他にインド専任の二人がいる。
丸紅の駐在員として長い間インドに滞在し、縁があってこのプロジェクトに参加している相原参事。
何と言ってもインド通。
インド弁の英語を使いこなし、インド人の扱いは天下一品。
風貌までインド人に似てきたものだから、変なインド人で通っている。
先日工場内にキャンテーン(社員食堂)がオープンしたが、勿論インド料理ばかり。
唯一相原参事だけが招待された。
インド人も彼を日本人に近いインド人と認めているらしい。
最後に登場する鈴木課長。
経理出身だがサービスに工場の生産管理と現場の仕事にも明るい。
赤字覚悟の今回のプロジェクトを、がっちり黒字にしようと睨みを利かせる。
そうそう、一人忘れていた。
この人が居ないとプロジェクトの人達は一日足りと生きていけない。
コックの須藤さん。
丸紅が海外駐在員の支援の為に作った子会社から派遣されている。
アルジェリア、ナイジェリアを初めとしてパキスタンにバクダットなど多くの海外プラントの建設を支えてきた超ベテラン。
手に入る材料を何とかして日本食に変えてしまうマジシャンみたいな人だ。
種を知ったら食べられない人も出るだろうけどと、そっと材料の一部を教えてくれた。
これらの現地で常時頑張っている人達に加えて、担当した機械の立ち上げ時に現地入りした設計者に工場の方々、そして普段は電話とFAXで遠隔操作し、時折姿を見せて叱咤激励の総大将は飯塚次長。
紙幣印刷に一番明るくトレーニング担当の荒井参事に、輸出手続きなどに毎日遅くまで頑張る田中次長、それに20代の魅力溢れるセクレタリ(秘書)の4名と、ん十代の魅力的な仕事っぷりの横山主任。
今回丸田と共にインド入りした宇野製作所の面々などなど、常時このプロジェクトに関係する日本人側の関係者は30名を超える。
一方インド側では、この工場で現在一番偉い人が、チャトパタイさん。
前身はインド中央銀行の方面らしいが子細は不明。
温厚な紳士然としているが、紙幣印刷に関してはあまり明るくないようで、工場建設に当たっての管理者として派遣された感じがする。
今年6月に番号印刷機の検査官として来日した時には副部長だったが、最近部長に昇格した。
実務の部門長として、生産現場を指揮するのが、ラヒリさんとジョリーさん。
二人とも本局(RBI)から派遣されており、今の所は単身赴任。
ラヒリさんは地元ベンガル出身でもあり、機械の搬入に伴う諸々の問題を精力的に処理してくれる。
検査員としても二回来日していて、すっかり日本びいきになってくれた。
一方のジョリーさんは細かい事でも1オクターブ高い声で捲くし立てる。
従って影に居ても所在が直ぐに判る。
メンテナンスの部門長がヤダブさん。
電気が専門で海外での仕事の経験も多いようだ。
このプロジェクトの為に新規採用された中ではトップクラス。
最初のトレニーとして訪日したが、一を示され十を知ってしまう鋭さで、教わる事は何も無いとの感じで4週間を過ごした。
しかし文明国日本の素晴らしさを充分理解して帰った様子だった。
日本へ行ってカルチャーショックを感じなかったであろう唯一のトレニー。
印刷後の工程を担当するのがバーマさん。
日本へも検査官として行っている。
何時も白っぽい上下に身を包むベストドレッサー。
其々の部門長は役職では部長補佐クラスで、その下に課長、副課長、課長補佐(係長クラス)と居て、これらのクラスからヤダブさんの他に既に11名がトレニーとして日本へ行った。
日本で丸田は彼らの接待役としてゲストハウスのアレンジや休日の買い物への同行、思い出に残るスナップ写真の撮影と、日本のイメージアップに努めたからか、インドでは皆が再開を懐かしがって握手を求めてきた。
彼らは全員このプロジェクトの発足に当たって応募した人達で、紙幣印刷に関しては素人ばかり。
しかし、こちらへ来て判る事は優秀な人ばかりで、多くの部下を持ち先頭に立って仕事をこなしている。
プロジェクトの成功は彼らの仕事ぶりにかかっている。
インドにはもう一つグループがある。
EAPLと略称される会社の面々だ。
代表者はGRカハテ。このニューノート生産計画の商談が始まった当時、インド中央銀行側の交渉当事者だった。
世界の紙幣生産システムはスイスに本社を持つジオリ社が、印刷機、番号機などハード関係を全て外注委託し、ソフトだけで(日本を除く)世界の紙幣生産業界を牛耳っていた。
しかし独占企業は顧客にとって必ずしも良いことばかりではなく、カハテは競争によってより良いシステムをより安く買えると考えて、二つの新工場をジオリと小森とに作らせようとした。カハテはその後に定年退職をし、その部下が彼の意志を受け継いで今のブロジェクトに繋がっている。
そして、カハテは民間企業の立場で現役時代に遣りかけた仕事の完成の為に支援している。
EAPLのメンバーとして、息子のYGカハテ(ヤショダール)以外は全てこのプロジェクトの為にインド各地から採用された。
ヤショダール自身は電子関係の仕事をしていたが、EAPLのまとめ役(実際にはまとめ切れていないが)として、そして彼自身電気関係の一人として参加している。プロジェクトのスタート時から日本語の勉強を始め、来日中のヤショダールはポケット辞書を片手に、丸田は電子辞書を片手に、日本語と英語の混じり合ったコミュニケーション風景が続いた。
バルタックはヤショダールと同じプーナ(ボンベイの南東約100キロ)大学出身のインテリで今年還暦を迎えたが、EAPLメンバーで唯一の紙幣関係経験者である。
35年間インド紙幣印刷工場に勤務していた。
実務は後ろから覗いているだけだが、講義をさせると何時間でもとうとうと流れるが如く喋り続ける。
そして新工場でも素人集団の中ではスキップするが如き動きを見せている。
アショク・クマール、37歳。
20年間インド海軍に勤務し、戦闘設備の納入立合いと保守を担当。
その後は航空母艦(インドにもあったのです)のヘリコプター部門のメンテナンス責任者をしていた。
軍隊の経験を買われてプロジェクト・オフィサーとしたが、管理能力はゼロ。
電気も出来るとの事だったが、インド海軍と最新の民生機器とのギャップは、湾岸戦争で世界中に知れ渡った技術力の差そのものである。
可哀相でもあるが、近いうちにケララ(インド南端の地域)の田舎に戻って貰うしかない。
スリンダー・パル、38歳。
9年間工作機械メーカに勤務して部品検査から最終組立まで経験。
その後、小型印刷機製造メーカに6年間勤めただけあって、指示された作業を黙々とこなしている。
EAPLメンバーではまともに使える唯一の人材。
クルカルニー、26歳、独身。ジープ、二輪車のサービスセンターで修理工をした後に、ゴム工場で設備のメンテナンスをしていた。
陽気で行動力あり。
アシッシ・ジョシー、28歳、印刷専門学校と大学の印刷学科を卒業(仕事ぶりはそんな風には見えない)している。
シート印刷機の新台納入立合いとその手伝い、そして印刷管理の経験(そんな風には見えない)ありとして採用された。
新婚で日本に研修に来ている間に娘が生まれ、「さくら」と命名した。
日本では「ジョシーさん」と周りの人に可愛がられたが、今はジョリーさん(1オクターブ高音の現場責任者)に可愛がられている。
ラジッシ・クマール、26歳。
今は独身。
ボルト・ナット製造工場の工作機械設備メンテナンス技術者として4年間勤務していた。
ケララ出身。
電気のメンテナンス要員として採用されたが、インドの田舎から出てきて一番カルチャーショックの大きかった彼にそこ迄期待出来ないと判った。
素直な性格と配線工としての活用から、ケララには戻らなくとも済みそう。
今は嫁さん探しにケララに戻っている。
広いインドだが、汽車で片道3日間かけての旅である。
簡単には逃げて戻れない。
これら日本人と、会社が採用したインド人、イギリス人の他に、イギリスの子会社が手配した業者から派遣されたエンジニアもインドに機械納入・調整に来た。マーク・ブラウン、イギリス人。番号印刷機に組み込まれている番号検証機の技術者。
映画俳優みたいな名前だが、彼の表情だけでその時の機械の調子が判る。
そんな豊かな表情だから役者向きかもしれない。
このプロジェクトにとっては危うく悪役になり損ねたが、彼が居る間はタッカーさんを脇役にする活躍ぶり。
脇役に納まっているタッカーさんの偉い所でもある。
何と言っても主役はイギリス人、ブロックウエル。紙幣の製作工程の中で、番号が入る前の一枚一枚のノート(紙幣)を選別する機械の関係者(少なくとも技術者ではない)だが、ここの工場に機械が着いて、何の知らせも無い侭ひょっこり現れた。
設置はしたが現地の電気事情に合わなくて正常に動かない。
「電圧が変化しているよ」と言えば、ぴったり240ボルトでなければならない、と言い、「周波数も変化しているよ」と言えば、ぴったり50ヘルツでなければならないと言う。
これには周りのインド人もびっくり。
この機械の説明書の裏表紙に描かれている会社の大きなマークを電気担当の沼内君に示して、「この機械はお前の会社のだ、だから沼内、お前が直せ」と素っ頓狂な声で言っている。
そして沼内君と「オー、ノー、お前のだ、お前が直せ」と遣り合っている。
次の日の朝一番でのこと。
この機械の所には未だブロックウエルは来ていない。
周りで工場のメンバーが沢山見ていたが、丸田は機械の周囲から、カバーを開いて紙幣が通るベルトの辺りまで、写真を撮り捲くっていた。
もう終わりの頃に奴さんが部屋に入って来て、デカイ声で「シークレット!」と言ったので、丸田は「これは会社の機械だ、昨日お前がそう言ったろう」とやり返した。
途端に一転して「シュアー、プリーズ!、プリーズ!」となった。
その後、何度か、丸田を指して「ユァー、スパーイ!」と言ってやがる。
その度に「マイ・カンパニー・マシーン!」 これでインドでの主な登場人物はオシマイ。
でもインドには他にも一杯の人が居る。
何せ8億5000万人も居るのだし、1万人以上も暮らす工場を作っている真っ最中だ。
身近なインド人ではコックの須藤さんのアシスタント(皿洗いでも良いが悪く書いた事が判ると食べ物の恨みは怖い)がヘモン。
EAPLが雇っているが、須藤さんの扱いが良いから、ご主人は須藤さんでヤショダールの言う事は聞かない。
彼らに取っての大金(月収分位)を預かって野菜類の買い物に市場の中を駆けずり回っている様は到底インド人には見えない。
朝昼夕と1キロ余り離れた工場への往復をしてくれる工場所属の運転手がダス(通間屋のダスとは違うダス)とその仲間達。
工場には3台位しか車がないが、そのうち2台のアンバサダとアルマーダで送り迎えをしてくれる。
我々の他に部門長クラスの通勤や出張の際のカルカッタ迄の送迎に行くが、此処迄カルカッタから来た時の運転手だけでなく、どの運転手も思いっきり飛ばす。
キノコ型の給水塔など何個所かのコーナーをサーキット良ろしくギリギリでぶっ飛ばす。
歩く人や自転車や、前に何かが見えると100メートルも手前からクラクションで威嚇して、そこ退けそこ退け式に排除してぶっ飛ばす。
見かけない運転手が一人来た。
のろい。
いや此れが正常かと思いきや、そうではなかった。
ゲストハウスの前は周囲30メートル程の車回しになっているが、その新米運転手は自信無さげにユックリ回り出したと思ったら、後輪を縁石に擦ってしまった。
「こいつはS字が苦手なんだなー、これで好く免許が取れたなー」と話していたら、「インドじゃ、誰でも50ルピー払うと免許が取れるんだよ」と相原参事。怖〜い。
工場内の北側には近くの鉄道から立派な引込線が来ていて、紙やインキなどの資材を入れると共に、完成した紙幣を運び出す計画になっている。
既にプラットホームが出来ていて、線路側と反対側のプラットホームにトラックを着けて今は機械や資材を搬入している。
駅舎は建設の真っ最中で、コンクリーの基礎を作っている段階だ。
大きな穴を手で掘ると、そこに作った枠に生コンを流し込む。
そしてまた穴を埋め戻すがこれも全て人力。
5メートル程離れた所に山と積んだ土をもっこに入れて頭に載せて運ぶとよいしょとばかりに穴へ投げ入れる。
もっこに土を掻き入れる人と、もっこに入れて運ぶ人とがペアになって、延々と続く単調な作業だ。
それが20名位。昼になると地べたに座ってランチボックス(と言えるハイカラなものでなく太めのずんどうになった容器)に手を突っ込んで何やら食べている。
彼らの賃金は一日50ルピーだと言う。今迄色々聞いた話によるとゲストハウスのコック助手も50ルピー、運転手も50ルピー、ゲストハウスの前で寝ずの番をしている門番も50ルピー、そう、一般民衆は全て一日働いて50ルピーなのだ。
1ケ月で5千円足らずと言うことになる。
年収で6万円。
では工場の人達は幾ら位なのだろう。
集めた情報によると、課長クラスで8500〜1万ルピー位らしい。
EAPLにもそれに近い位は出しているから出し過ぎか、それともカハテがピンハネしているか。
相原参事が招待されて食べたレストランの食事が3ルピー、10円はかなり工場からの補助があるにしても安い。
EAPLの連中が日本に研修に来た時に、何を見ても高いと言い、同行して来た検査官の奥さんが1000円(300ルピー)の買い物したさに旦那に電話でOKを貰っていたのを思い出す。
この国にはインド国民だけの世界と、外国に接する世界とがあって、そこの格差は個人では如何ともし難いものがあるようだ。

(1996年11月)

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