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インドからだよ〜ん-T

新インド紙幣生産計画
そもそも今回のプロジェクトが如何なる経緯から出来たのかを少し記そう。
何処の国でも公務員は一生懸命働く人と、そうでもない人とが居るようで、後者の点 で日本とインドで似た所から話が始まる。

 日本の紙幣は株式会社日本銀行(一部上場企業)が発行しているが、紙幣の生産は大 蔵省印刷局で、硬貨の生産は造幣局である。
紙幣生産の工場は、東京・滝野川、小田原、静岡、滋賀県・彦根の 4ケ所にある。
この工場全てでとは言わないが、次の様な光景を見かけると言う。
勤務時間は9時から夕方5時迄が役所の常となっている。
その間に12時から1時迄が昼の休憩時間。
一般企業であれば、残りの7時間が働く時間だ。
所がその工場では9時から5時までの間に工場に居ればよい。
また、昼の1時間は休憩時間であって食事の時間ではない。
従って次の様な光景となる。

……
……(都合により、非公開としました。)……
……

 所でインドの場合も似たりよったりらしい。インドの紙幣もインド中央銀行(RBI)が発 行しているが、生産は大蔵省管轄で、工場はボンベイ(最近になって都市名が植民地 前のムンバイに戻った)に近いナシックと、ボンベイとデリーのほぼ中間に位置するディワス の二ケ所にある。
前者では発行枚数の多い10ルピーが中心で50ルピーも作っている。
10ルピーは日本の1000円札の感覚で食料品等が買えるが、為替レートからすると 30円程にしかならない。
ナシック工場の従業員は約5000名で、5つの製造ラインがある。
10ルピーの場合、1ラインは表裏を同時に印刷する機械と、ナンバーを打つ機械、そ れに一刷り50枚の紙幣を小切れにする仕上機と、カウンター等その他の小さい機械で構 成されている。
切手など他の製造ラインがあるにしても1ライン当たり1000人は極めて多い。
一方のディワス工場は20、50、100ルピーが主で、2ライン1200名。
これでも多い。

 つまり、旧型機械と言うこともあるが、人が多いばかりで生産性が低く、紙幣が足り ない。
簡単な計算です。
日本には紙幣工場が4ケ所です。
インドは2ケ所。メーカーが売った台数からして日本では20ライン以上ある筈で、インド は7ライン。
日本の人口が1.3億人でインドが8.5億人。
日本の印刷局の職員が幾ら休憩時間を効果的に使っても、機械が優秀だから生産量は確保出 来ています。
従って単純に計算しても財布の中の紙幣の枚数は日本人の20分の1か、20倍も長く使って いることになる。
現にこちらの紙幣は汚いことこの上なし。
日本のニセ札屋さん!インドだとバレないよ。
何せ絵柄らしいものがあって、泥を擦り付けて、それらしくしておけば絶対にバレないって。
あぁ そうそう、左側に楊子で何個所か穴を空けといてね。
インドの紙幣って必ずホッチキスの穴が有るんだから。
それからね、お金があってもこの国には日本で売れそうな物も無いから、航空運賃が赤字に ならないようにね。

 そんなこんなで、インド中央銀行は生産性の低い公務員に見切りを付けて、日本より一 歩か二歩は早く行政改革に踏み切ったのでした。
いゃーインド人は偉い。
100%出資のBRBと略称される子会社を作り、従業員2200人規模の工場を二つ作る。
何れも8ラインずつだから、単純計算で3倍以上の生産性となる。
いゃー、本当に偉い。

二つの工場の一つはマイソールと言って、インド大陸のずーと南の方でバンガロールに近い。
北緯12度のラインにほぼ乗っている。
既に先行して新100ルピー札を生産している。
もう一方がここサルボニで、カルカッタに近い。
とは言っても車で120キロ、たっぷり4時間は掛かる。
ここサルボニは、日本で言えばどんな所に相当するだろうか。
「岩手の山奥って言ったら、岩手の人が気を悪くするだろうなぁ」と一緒に来た岩手出身で ない人が言った。
人の少ない所は北海道に似ているが、気候を考えたら沖縄北部の米軍基地に近い所かなぁ。
赤茶けたような、痩せた感じの土で、潅木しか生えない所が似ている。

 近くの村(サルボニ)まで5キロ位ある。
カルカッタからの鉄道だと、80キロ位西に行ってカラグプル市に出るが、ここは鉄道 の要地で南へベンガル湾沿いに走ってマドラスに向かう線と、その侭西へボンベイへ向 かう線、そしてサルボニを経由して北へ向かう支線に別れる。
サルボニからそのカラグプル迄は約40キロ。
インドの人口は8億人以上いても、その大部分が都市部に集中しているから、この田舎 には人家は少ない。
街へ出る交通手段として屋根の上まで乗らなきゃならないバスはあるが、文明 人だけではおいそれと移動できない。
休日でもゲストハウスに篭っているのが得策と言える。

 サルボニ新工場キャンパスは元軍隊の飛行場跡地。
南北に約1キロ、東西に約1.8キロでおよそ180ヘクタールになる。
周りは既にバリケードが張り巡らされており、二個所のゲートではCISF(産業警 察軍)が24時間勤務で見張っている。
最初の1ライン目が正にスタートを始めようとしているが、現在の社員数が250名位。
あと2年程で8ラインが完成する。
その時には社員がおよそ2200名位になると言う。
工場の建物の大きさは350メーター×170メーター、東京ドームで三つ余り位だろう。
当然それらの家族が一緒だし、マーケットや病院に学校、スタジアムも敷地内図面に描かれ ている。
総勢1万名を軽く超えてしまうのだ。
筑波学園都市ほどではないが、田舎の野っ原に忽然とハイテク都市が完成するのだ。
いゃー、これは機械がハイテクとの意味であって、そこで働くインド人はほんの一 部がハイテクであって、大部分はそうでない人達なのであります。
その点は次回に扱うことにして今回はここまで。

(1996年11月)

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