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インドからだよ〜ん-T

一日半かけての到着
 エアー・インディアのジャンボ機二階席、前から二列目の窓側。入ると通路側にイン ド人が既に来ていて、私が窓側に座ろうとするとそそくさと窓の下の荷物入れにでか いバックを入れてから座席の前を通してくれた。
荷物入れを使われてしまったのでこちらのバックは入らない。
仕方なく前の席の下に押し込んだ。
「狭いよなあ」と言ている感じ。
先に入れて済まないとでも思っているのだろうか。
この飛行機はバンコックとカルカッタ経由でボンベイ行きだ。
「ボンベイまで行くのか」と聞いて来た。
「ノー、カルカッタ、アンド、ユー?」どうやらテキさんはボンベイまでらしい。
他にも何かべらべら言って来るが、感じの悪いインド人だ。
「アイム、ハブ、プアーイングリッシュ」と言ったら「ノーイングリッシュ!」と言って、 それっきり降りるまで話し掛けて来なかった。やれやれ。

 定刻より30分位遅れてバンコック着。
水路が多く日本の農村風の上空を通って日本の公団みたいのが幾つか見える。
結構家が密集した近くの飛行場だ。
大阪空港並に人家に近い。
予定では一時間後に出発だが、一時間半後だと言う。
狭い所で只々待つしかない。
掃除機と、でかくて黒いビニール袋を携えてボーイが掃除して行った。
待ちくたびれたが一向に出る様子がない。
チェックインをする人が120名程居て、混み合っている為に更に遅れるとのこと。
結局予定より二時間遅れで出発。
殆どカルカッタに着く時間だ。
どうせ遅れるならば最初から遅らせたダイヤにしておけば良いのに。
これもインド流か。

 カルカッタでは会社が手配した通関屋のダスさんが入国審査の手前で待っている筈だ。
多少心配でもあったが、降りると直ぐにダスさんから話し掛けられた。
一般の人は先を争って入国審査に並んでいる。
後から判ったことだが、この後で入国審査は延々と1時間程も続いていた。
ダスさんは同じ飛行機に乗ってきた外注業者4人と一緒にパスポートと入国書類を集めると 、手荷物をレントゲンに通すように指示をして荷物の受け取りに案内してくれた。
山のような人達が正規の入国審査に並んでいるがさっぱりさばけてこないので、 ロータリーコンベアの周りに乗客は少ない。
その間にダスさんとその配下の者は3個のキャスターをコンベアーに横付けして荷物 を待ち構える。
ダスさんの同業と見える何人かも同様にキャスターを構えた。
何とも手際の良いことだ。
インド人とも思えない。
いや正しくこれがインド人なのか。
私の荷物はビジネスクラスなので直ぐに出て来たが、外注の人達はエコノミーだったの で中々出てこない。
ダスさん達と比べて空港労働者は何と手際の悪いことか。
これこそインド人なのだ。
いや国営と民間との違いだろう。
日本の公務員達よ、全員でインド旅行をしましょう。
行政改革を叫んだ振りをしている議員さん達も、エコノミーでインドに来 て下さい。

 小一時間かかってエコノミークラスの荷物が出て来ると、ダスさんは其れらを配下の 者に運ばせ、税関検査ゲートの傍を通って我々の通関書類を係りに見せている。
係りが何かを言っているが、中央のゲートで役人らしい黄土色の上下の制服に帽子を被っ ている年配の人がダスさんと係りの人に向かって、手を横に振って早く行きなとの手 振りをしている。
多くの職員の視線を感じながら外へ出ると、迎え(勿論我々の迎え でなくて、2時間の飛行機の遅れに入国審査と荷物の受け取りで手間取っているイン ド人達の迎え)の群集の視線をも一手に受けた。
そしてそれを尻目に建物伝いに50メートル程の所で待っている丸紅差し迎えの車が2台。
路傍の2〜3人が手伝いでチップを稼ごうとする人をダスさんの仲間が遮って、 我々の荷物を車に積んでくれる。
アンバサダと言うインド製乗用車に3人、アルマーダと言うジープに2人が乗る ように案内を受けて乗り込んだ。
空港から街灯の無い暗い道をカルカッタへ向かう。
先につかえた車をアップライトとクラクションで横へ退かせ60〜70キロの猛ス ピードで走り続けた。
アンバサダが半分位だが、車はそう多くはない。
スモールライトだけとか、無灯火の車も居る。
交差点は黄色の点滅だけで、センターラインもはっきりしない。
日本と同じ左側通行だが我々にはとても運転出来そうもない。
30分ほどでホテルに着くと荷物を降ろしてくれて、ダスさんの配下の者は引き上げ た。全く至れり尽くせりだ。
山のような人達が一時間以上も掛けて入国審査と税関審査を受けている中で、便利な 人達が居るものだ。
ジィスイズ インド か。
会社はダスさんに通関手数料として支払っているが、それが如何様に配分されている か、我々には判らない。

 丸紅で手配してくれたパークホテルだが、ガイドブックによるとここはシティホテル の中でも格が下の方らしい。
それでも朝食付で$119.3、日本円にして13000円以上だから高い。
インドの物価は日本の1/10以下だろうから、それと比較してもとんでもない値段 になっている。
飛行機でバンコックから120人のインド人が乗り込んで来たと言うことは、バンコ ックで120人の日本人が降りたのだった。
インドまで足を伸ばした日本人は20人程だけ。
特別な動機が無ければ来る所でないかもしれない。
この日、カルカッタに降り立 った日本人は我々5名だけだった。

 翌朝9時にホテルを出て、アンバサダの助手席からの景色は立体スクリーンに写るが ごとき夢心地。
街道らしいがでこぼこで取っ手を掴んだ左手に力が入る。
道路の両脇の人の列に、何やらデカいズタ袋に穀類らしいものを乗せた自転車を引く 人などを左右に交しながら走り続ける。
砂漠の戦場から帰って来たような茶に焼けたトラックや、田舎のオンボロバスも顔負 けの時代物に勿論中はびっしりで屋根の上にも器用にバランスを取って座っている何 名かの乗客?を乗せたバスを激しいクラクションで威嚇して追い越す。
対向する車をもクラクションで寄せさせてのサスペンスはジェットコースターもタジ タジか。
カルカッタの街並を出てから古びた打ち流しのコンクリートの高速道路を通り、ガン ジス河の分流に架かる橋を渡って農村部に出た。
それでも沿道に人は絶えない。
1キロおき位に市場風で物売りと際立った人の群れがある。
レンガや板やコンクリーや兎にかく使える材料を織り交ぜた屋台みたいな店先に置い たり吊るしたり、壷や小皿に入った何やらを売っているらしい。
麻みたいな敷物に野菜やら何やらを並べて売っている者もいる。
市の間隔が次第に広くなり、通りの人も少なくなる。
自転車に10メートルもあろうかと思う鉄筋を10本ほど乗せて引いていたり、舗装 された道路の傍を使って穀物を平らに敷いて乾かしている者がいる。
丁度2時間。パンジャブホテルの前の休憩所で休んだ。
アルマーダはこちらの車の5分遅れで着いた。
テーブルではインド料理独特の香辛料の匂いがする。
現地の食べ物は怖い。
コカコーラだけにした。

 ホテル前で40分程休んでまた走り出した。
ボンベイまで1000キロ続く街道を40分ほど走り、右に折れて狭い道に入る。
大型車が一台通れる幅しか舗装されていないので、対向車が来ると互いにぎりぎり直 前までスピードを緩めず接近し、直前でどちらかが交わすと言う駆け引きの連続となる。
もう歩く人は稀だ。
一見して日本の農村風景と似ている。
一面稲刈り後の水田が続く。
民家も少ない。
8億5000万人もの人にとっては大事な土地だ。
休憩して丁度2時間、遠くの左前方に白いキノコ状のタワーが見えてきた。
あれがサルボニの目的地であと5分だとドライバーが言っているらしい。
そしてこの狭い街道を左に曲がり少し広い道路に出た。
複線になった立派な鉄道線路を横断し、右側にニワトリの鶏舎みたいな細長い棟が 10棟ほどある所を通過して、新工場敷地の正面に出る。
左へ曲がって直ぐに写真で見た事のある建物が見えてきた。
ゲストハウスだ。
着いた〜。
日本から12時間以上かけてカルカッタに着いて、そこから更に4時間の 車。
土日で一日半を掛けての移動であった。

(1996年11月)

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