マル秘インド・スナップへ

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メインプレス建設

《建設》
 

・工場建設が何時から始まったか我々には判らないが、先ずは給水塔の工事からだったようだ。最初の写真は工場敷地内の工業用給水設備の建設場面で、手前が貯水池部分、右奥がタワー部分。
・次の写真はその給水塔から東側を見た写真で、左側遠くにミニプレスが見えるから1996年頃と思われる。手前の建物が最初トレーニングセンターとして使われ、後日食堂や我々の事務所として使った建物。左側一帯の空き地となっている所にメインプレスが建てられる。右側遠くにゲストハウスが見える。
・次はメインプレスの基礎部分の工事が始まった所。1996年秋か。
・1997年5月30日となっているが、飲用給水塔から撮ったメインプレス方向の写真。左手前が工事中の病院。右は職員宿舎でその向こうがCISF宿舎。左端向こうに工業用給水塔が見える。


・1997年に入ってメインプレスの建設がクレーン車を使い本格的になってきた。柱の建築や壁の建築には鉄筋を大量に使い、如何にも紙幣工場らしく頑丈に作られている。
・1997年の暮れには全ての屋根も拭かれ、多くのパイプ材が組まれて仕上げ工事も進んだ。途中何度かヘグデ社長やチャトパタイ工場長のチェックが入った。
・そして未完成な工場建屋に機械の搬入が始まった。雨に当たらなければ入れるだけは入れようとの判断だった。
・隣接するポンプ室の工事も並行して進められ、工場敷地外のアドミニハウスは少し遅れて工事された。


・左端写真は1998年末の仕掛り金庫室内部の様子。床と壁の仕上げに入っている。
・印刷室と仕上げ室の床仕上げ及びペンキ塗りは1998年暮れから1999年1月にかけて進められ、スケジュールは更に遅れることとなった。
・1999年春には工場内部の工事がほぼ終わり工場周囲の建築資材の整理が残った。アドミニハウスの屋上から見たメインプレスも周囲の残骸が目立つ


《搬入》
 


・左上写真は機械搬入前の凹版機室で右写真は搬入中のナンバー印刷機室
・下段はオフセット印刷機室、凹版印刷機室、既に調整に入ったナンバー印刷機室、そして仕上げ機室
・搬入は床や壁など仕上げ工事が終わる前、1998年中に全て終わり、順次試運転も進んでオフセット印刷機による10ルピー印刷は12月3日、ナンバー印刷は12月14日から始まった。そしてメインプレスの仕上げ機から最初の紙幣の束が出てきたのは12月18日だった。


《ヘグデ社長の巡察》

・1998年12月7日にヘグデ社長他BRB本社幹部の巡察があった。
・中庭に面したロビー部分の階段を降りるご一行は仕上げ工事中の部分を避けて一列で移動する。
・指摘内容は印刷室でも仕上げ機室でも、検査室でも、そしてプラットホームでも細かな所に及んだ。毎週来て呉れると工事は急ピッチで進むのにと陰口が囁かれた。


《ココナツセレモニー》

・試運転が終わり実生産に入る所で入魂式と言うか、ヒンズーの行事としてココナツセレモニーを行う。
・メインフプレスでの最初のセレモニーは1998年11月のオフセット機と凹版機で、チャトパタイ工場長、ジョリー副工場長も嬉しそう。
・刷りあがったばかりの10ルピー大判を手にするKCTプロジォクト・マネジャーだったジョン(1年後カルカッタのホテルで心臓病の為に急逝)と、右はメンテナンス部長のヤダブ、左は印刷生産課長のパンデットで二人とも協力的で幾度となく助けられた。
・オフセット機ココナツ・セレモニーでのインストラクター、シーブロックと新任係長補佐のサフー
・凹版機のセレモニーの様子で、関係者(でない人も)が回りに大勢集まり機械の前には祭壇が設けられる。



・この一連の写真は製版機とプリプレス機のセレモニーの様子で、ローラー加工機に飾られた花、ココナツを割るKCTメンバー、ジョンら参列者。機械に卍を記し、ココナツの汁を振りかけて清める。各人の額に紅の星を記して機械の安寧を祈り、菓子が振舞われる。暫しの歓談の後に流れ解散となる。

・ナンバー印刷機のセレモニーで、インストラクターのタッカーはこの後苦労の連続だったが最後まで良く頑張った。
・インド経験が一番長い岸川参事、それにRBIのOBでありEAPL社長のG.R.カハテ


・仕上げ機ココナツ・セレモニーの様子で、副工場長に昇格したジョリー、○○を定年退職後に△△製作所に転進した吉田シニア・アドバイサーらがココナツ割りをした後、チャトパタイ工場長の始動で式は進められた。
・出来あがった1000枚の紙幣束を抱えてジョリー副工場はご機嫌が良い。左はマイソール工場から異動で来たチャクラボルティ部長で、右はメンテナンス部機械課長のビスワナタン。ゲストハウスの担当でもあり随分と良くして呉れた。
・シングルノート・ナンバー印刷機のココナツセレモニーはスリバスタバ課長など現場サイドだけで行われた。


・WST(廃インキ処理装置)のセレモニーにも多くの人達が集まった。
・日本にWSTの立合い検査に来たのはヤダブ部長。WST専任の島崎顧問と山名参事は、何とか稼動まで持ち込み説明も爽やかだがこの後も苦戦が続いた。
・祭壇前の記念写真、左端は梶、▽▽▽の竜野さん。メインプレスだけで滞在380日以上となり、すっかり現地に溶け込んでしまった。右端は□□電業鰍フ登山さん。