マル秘インド・スナップへ

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アクシデントの数々

《輸送事故》

・40台のコアマシンは延べ1000ケース以上に分けて日本とイギリスから運ばれた。トレーラとトラックの延べ台数は700台程度だったと思われるが、カルカッタ〜サルボニ間で1台の転倒もなく良くも無事に届いたものだった。
・しかし、荷揚げ時発生と思われる梱包の破損は数多く、中にはバリアが破れたものもある。
・オフセット機の108号機。凹版機106号機。シングルノートナンバー機106号機。同105号機。そしてスキットが壊されて運ばれたノーマルナンバー仕上げ機。


・梱包外見で異常が見られなくとも、開梱して見つかる異常は多かった。
・ナンバー印刷機107号機では強い上下振動で排紙台が落下、インキポンプの制御盤も落下、同じくインキポンプ梱包はボルト締結部で破損していた。
・梱包内部で部品同士が当たったか、制御パネルの押しボタン破損、ポテンショメータ破損、カウンターマシンではキャタピラー状の差し板が破損していた。


・開梱しての外見で異常が見られないのもある。
・ピートパイプ内部の異常、IC基盤の異常、何れも強い振動によると思われる。


《工場設備事故》
 

・1998年7月10日、工場の東通路で火災発生し南通路へかけて天井に溜まったアセチレンガスが燃えて炎と煙が走った。 この写真は復旧後の出火地点。
・1999年3月15日、ナンバー印刷室西側の天井裏からレンガ一個が落下し、ナンバリングボックスのメンテナンス用 テーブルを直撃した。幸い作業者不在の時間帯だった為に怪我は無かった。
・その直後の3月18日、壁を隔てた西通路で天井が10メートルに渡って落ちた。


・1998年12月4日、凹版機の試運転が始まった頃だったが、版胴上に鼠が落し物を残し、インキ着ローラを数ヶ所齧って行った。
・BRBは鼠退治用として鼠の通路となっているピット内に粒状の餌を配置したが効果なく、配電盤で悪さをし、数多くの落し物を残し続けた。また活動範囲は機械内部のダクトにも及んだ。
・BRBは専門業者による駆除を始め、鼠の通り道に粘着板を配置した。


・1999年9月23日、午後2時過ぎに降り始めた雨によって、オフセット機室通路は何時もの通り水浸しとなった。大きな ポリバケツの蓋では足りず、インキの空き缶が並べられる。室内照明は(漏電検知で)消えたが動力線は生きていて機械稼動は続けられた。
・ナンバー印刷機室ではエアーダクトから筋状に落ちる雨漏りがダクト全面からの飛沫になってしまった。ダクト下の107号機の稼動は雨季が終わるまでお預けとなった。
・仕上げ機の上からも機械上に雨漏りがあり一部分をシートで覆っての稼動となった。
・30分もスコールが続くと、其の度に玄関前は水浸しとなり、繰り返しの雨漏りで機械内部まで酷い錆が発生した。


《機械の関係》

・オフセット機では印刷に出るスポットに一番てこずった。集塵機で集まったスポットの素は用紙の端に残る紙粉とダクトから散らばる工事の塵埃だった。
・火災後のエアコン停止で機械各部は錆ついたが、これは106号機ツボローラ。
・108号機の検収印刷テストで、汚れ印刷があり8日間のテスト期間延長となった。


・凹版印刷機でも火災後エアコン停止の影響か、106号機カゼニンメッキ胴の変色があった。
・1999年9月21日、107号機検収テスト中にブランケット・クランプーバーの緩みが起きた。
・凹版機の稼動に大きく影響を与えたのはワイピング装置のスプラッシュだったが、原因は客先手配のインド製旋盤で作られるワイピングローラの加工不良だった。
・WST(廃インキ処理装置)ではインキ顔料を顆粒にした後に濾過するPCセパレータが現地材料の異物混入などで当初の性能の発揮が悪く、またポンプの異常などの不具合があった。


・ナンバー印刷機ではテスト稼動が始まったばかりの1998年12月19日、保守後の処置不良が原因して機械破損事故があった。
・ナンバー印刷機の心臓部であるナンバリングボックスは部品各部に対するインキ飛沫の洗浄・保守が必須である。
・1999年8月23日、ビス落下事故があった。また101号機移設時に胴にキズを発生させた。



・仕上げ機ではミスプレス機で問題の早期対応が進み、カウンターディスクのクロムメッキ化を順次進め、オペレータ教育及びメンテナンス教育が効果的に為された。
・100ルピー紙幣のプラスチック・スレッドが影響して超硬断裁刃が早期に欠けてしまった。
・シングルノート・ナンバー印刷機では断裁位置のバラツキやフロード・ノートのマーク検出に対する信頼性問題があったが、やはりミニプレス機での対応が功を奏して、メロインプレスは順調だった。
・1999年8月26日、105号機にてゴムローラが鉄心から剥がれる不具合が起きた。


・印刷及び仕上げに関連する機械の問題としては、版裏面研磨機の胴周面でミクロン代の縞目が発生、バンドコータ機でのモーター不具合、仕上げ機附属のインキジェックプリンター不具合、エンコーダ不具合と、電気系の問題が多かった。直接・間接での現地電源事情の影響が大きかったと思われる。
・前記した凹版機スプラッシュ問題の原因となった旋盤チャックで左が旧式センターピン方式で右が改造後の3点チャック式。


《その他 諸々》

・1999年3月4日、凹版機オペレータがメインモータ部を点検後に腰を屈めた侭でワイピング部へ移動しようとして、カバーの角で頭を打ち、怪我をしてプラント病院に運ばれた。
・その二日後、同じ機械で別のオペレータが機械から原動側に出ようとピット(BRB側工事部分)に踏み出した所、ピット蓋のサイズが小さくて足をピットに落としてしまった。そしてプラント病院へ運ばれた。
・1999年3月14日の深夜、酔いに任せてイギリス人インストラクター二人が宿舎の塀の一部を壊してしまった。
・最終検収テストが始まって間もなく、サボタージュらしい事例が幾つか発生した。この写真は1999年6月15日の昼休み、オフセット印刷室内を挙動不審者が通って行ったもの。
・1998年11月にゲストハウスでカメラの盗難事件があった。CISFのモハンカACは即刻関係者の家宅捜索を行ない4時間後にはカメラが出てきた。当日のガサ入れでは他に時計類や履物類など多くの日本製グッツが見つかった。