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インド観光

8.ニューデリー

9.アーグラ

16.カルカッタ

18.ボンベイ

★ ビショナプル

《アーグラ》
今まで500日以上も滞在したインドでしたが、観光したことは無かったのでした。
それが昨年秋に会社の女性二人が観光して来た写真に刺激され、今回の帰国前に会社 に内緒で寄り道して来ました。
今回ご覧戴く写真はデリーから150Km程の所にあるアーグラでのものです。
何と言ってもタージマハールは素晴らしかったです。
以前はタージマハール入り口まで車で行けたのが、今は廃棄ガスで大理石が黄ばむと して1キロ手前で下車し、リキシャか馬車などで行かねばなりません。
入場料はインド人が5ルピー(15円)なのに外人は別途観光税を500ルピー(1 500円)も取られました。此処では庶民の10日分の給料相当です。でもその価値 はあったかな。
10ルピーで雇った案内人に撮ってもらったタージマハールを摘んだ写真は面白いで しょう。
アークラに限らず街の中では牛がのさばっていて、落し物もアチコチあるから足元要 注意です。
デリー〜アーグラ間は高速道路並の良い道なのだけれど、左側を歩行者、自転車、人 力車が通り、右側からは中央分離帯の此方側をバイクやトラックが向 かってくるから、後の席でもシートベルトは欠かせません。
所でタージマハールとは、ヒンズーの国インドを北(モンゴル=ムガール)から来て 支配したイスラムの王様の奥様のお墓です。
アーグラにはタージマハールの他にも、AGRA FORT、 FATEHPUR SIKRI、 SIKANDRA などムガール時代の城の遺跡やお寺があり、一日では回りきれません。

タージマハール 10ルピーのリキシャ タージマハールを摘んだつもり 牛の落し物に要注意 幹線道路で逆送して来るトラック AGRA FORT FATEHPUR SIKRI SIKANDRA

《ニューデリー》
インドシリーズの第2弾です。
私は最初にインドの酷い所を味わってしまい、少し偏見を持ってしまったけれど、皆 さんには先ずインドの素晴らしい所を写真で見て貰い、その後に順次他の素顔も見て 戴きたいと思います。
インド人の7割を占めるヒンズーはインド庶民の宗教だけれど、それを15世紀に なって支配したのは北から来たモスレム(イスラム教徒)のムガール(モンゴルの意 味)で、前回紹介のアグーラとデリーの周囲に歴代皇帝が幾つもの都を作り、ヒン ズーと融合した文化を育んだようです。
フマユーンの墓は、フマユーン皇帝の未亡人、ハージ・ベーガムによって建てられ、 庭園の中の廟(お墓の上の建物)という形式を完成した最初の建物だとか。建物の上 の方はアーグラのタージマハールに似ており影響を与えたようです。
デリーで最も有名な遺跡が、遥か遠くからも見えるクトブ・ミナールの塔で、高さ7 3−トル、基部が直径14.5メートル、頂上では2.5メートル。5階層で、最初 の3階は赤砂岩、その上は大理石と砂岩で作られているもの。勝利の記念碑であると 同時に礼拝時間を知らせる告知塔でもあったとのこと。以前は頂上まで登れたのが、 何年か前に中の螺旋階段でズッコケて100名以上が圧死してから入れなくなったの だとか。
全体を赤砂岩で広大な敷地の中に作られたレッド・フォート(城)は、河と堀と城壁 に囲まれた典型的な平城で、天守閣が無いのを除けば日本のお城に似た感じを覚えま した。
インドの門は高さ42メートルの巨大な石の塔で、第1次世界大戦で亡くなった9万 人のインド軍兵士を記念して建てられた凱旋門。戦没者の名前が刻まれていて、屋上 では永遠の火が燃え続けています。
建国の父マハトマ・ガンジーを茶昆(ダビ)に付した場所で方形の黒大理石が置かれ ている所をラージ・ガートと言って、彼の最後の言葉「ハレラマ」おー神よが台座に 刻まれています。広大な芝生の中で訪れる人が絶えず、花も絶えない。
ネール元首相が1948年から官邸としていた建物をティーン・ムルティ・ハウスと 言って、今はネール首相ゆかりの品や写真を展示した博物館になっていました。
古くからの観光資源が多い中で新しいモスクの建築も多く、また8つの宗教が合体し た新興宗教の大きな建物もあり、多民族多宗教のインドは中々理解し難い国と言うの が率直な感想です。

ムガール帝国の皇帝フマユーンの墓 高さ73メートルのクトブ・ミナールの塔 レッド・フォート(赤い城) 第1次世界大戦後に建てられた「インドの門」 ガンジーが荼毘に付された黒大理石でラージ・ガートと言う ネール元首相が官邸にしていたティーン・ムルティ・ハウス 建築されたばかりのモスク 8つの宗教が合体した団体の本山

《ボンベイ》
ボンベイとは現地語でムンバイと言っていたのを英国人か゜ボンベイと呼んだのだとか。
空港へのランディング間際に目につくのは貧民街。でも東インドのカルカッタばかり見てきた私には、これこそインドの普通の姿であり、前回紹介したニューデリーの整然として街全体が公園のような所などインドらしくないと思えるのです。
ボンベイは日本で言えば大阪市みたいな所。インド全体の経済の半分以上はボンベイに集中していたのだとか。展望レストランから見た市の中心部は大都会そのものです。
また「ビクトリアのネックレス」と言われる綺麗なカーブを描いた湾に沿った海岸近くのビル街は世界で5本指に入るほどに土地の値段が高いのだとか。
10億人近くの国民のうち、7億人位は一日150円以下の収入と言う国に、一坪数百万円の土地が何故存在するのか、まか不思議に国であります。
ボンベイにもインドの門がありました。此処はアラビア海に向かっていて、海からインドに入る玄関口としての門と言うことです。
海から見るとインドの門とタージマハールホテル(左が本館でインドの門の背部のビルが新館)が並んで見えます。
インドではタージホテル・グループとオベロイホテル・グループが最上級で一泊$250位。普通のシティホテルは$120〜$140。
ボンベイのビジネスホテルで$60位。
インド人ビジネスマンやインド人観光客用なら$15〜$20、インド人庶民用の宿泊施設なら30円位で泊まれるらしい。
この幅の広さは正しくインドの(色々な意味での)広さでしょう。
インドの門から海へ出て1時間の所にあるのがエレファント島。ユネスコの世界遺産に登録されているCave(洞窟)があり、壁面一杯に大きな仏像に似た彫刻がされています。
バットの先端らしきカーブを描く物体はバット?其のもので、力の象徴なのだとか。
確かに言える。

空港へのランディング間際に目につくのは貧民街 展望レストランから見た市の中心部は大都会そのものです 「ビクトリアのネックレス」と言われる綺麗なカーブを描いた湾に沿った海岸 此処はアラビア海に向かっていて、海からインドに入る玄関口となっていた「インドの門」 海から見たインドの門とタージマハールホテル インドの門から海へ出て1時間の所にあるのがエレファント島 壁面一杯に大きな仏像に似た彫刻がされている バットの先端らしきカーブを描く物体はバット?其のもの

《カルカッタ》
イギリスの統治が始まった頃はカルカッタがインドの首府でした。
ビクトリア女王の行啓があり、それを記念して建てられたのがビクトリア記念館です。
デリー、アーグラ、そしてジャイプールなどインドの西側には多くの国際観光都市があるのに、 カルカッタに代表される東側には見るべき所はこのビクトリア記念館くらいです。
実際カルカッタでは日本人を含めて観光客は極めて少ないのです。
強いて他の観光ポイントを紹介すると、世界的に有名なのがカルカッタ博物館で、 インドの歴史上の遺物や考古学上の品が多く保管されています。
つまり展示と言うより大学の研究室に保管されている様な状態で、薄暗い所にびっしりと収まっているのです。
この道に興味のある人には応えられないとのこと。
中で学生などスケッチしているのを見かけます。
館内撮影禁止のために写真はありません。
カルカッタ植物園にはカジュマルと言う樹齢3千年の縄文杉(屋久島)クラスの植物 があって有名らしいのですが、私は見ていません。
日曜日のカルカッタ動物園はポンコツのスクールバスで集まった子供達で一杯になり ます。
上野動物園のカルカッタ判です。
ホワイトタイガーが客寄せとなっているのですが、奥で寝てるだけでした。
普通の虎が黄色と黒の縞縞なのが白と黒の縞縞になっているだけ。
他には特に珍しい動物は居ないのですが、現地の子供達は猿やカバなどに群がっていました。
私にとっては女のインド人の着ている物に興味を持って隠し撮りをしたのですが、 若しかしたらインド人にとって日本人の私が一番珍しい動物だったかもしれません。
カルカッタの街中は全体として汚らしい印象だけれど、多分ベナレスほどではないでしょう。
中国系住民が多いチャイナタウンで見かける風景はカルカッタの民衆が住む街の代表的な景色です。
中心部のニューマーケットは物資が豊富で品質も悪くありません。其処でネパールか ら来たと言う60歳位の女性が、銀の指輪など幾つも着飾っていながら、我々に物乞 いしたのには少々呆れました。
此れがインド人の(色々な意味合いで)現実の姿なのです。
中心部のビル街は古いけれど人口1000万人以上と言う都会の一面を見せています。
また我々にとっては一昔前のものだけれど、近代的なサイエンスホール には日本製のプラネタリウムもあり、 ガンジス河の分流には大きな近代的なブリッジ(鹿島建設がODAで建てたとか)もあります。
あらゆる物が交じり合い、あらゆる物を受け入れるカルカッタはインドの縮図かもしれません。
ビクトリア記念館も植物園も動物園も入場料は5ルピー(13円)だけれど、ビクト リア記念館でトイレを探したら建物の中に無いのです。
高貴なビクトリア女王はトイレで何をしないのでしょうか。
ガートマンに聞いたら裏の公園を指差されました。
でも其処にもトイレはありません。
いやインドへ行くなら日本の7倍の土地全てがトイレと思って出かける覚悟が必要です。

カルカッタで見るべき所はこのビクトリア記念館くらいです ホワイトタイガーが客寄せとなっているのですが、奥で寝てるだけでした 女のインド人の着ている物に興味を持って隠し撮りをした カルカッタの街中は全体として汚らしい印象 中心部のニューマーケットは物資が豊富で品質も悪くありません 中心部のビル街は古いけれど人口1000万人以上と言う都会の一面を見せています 近代的なサイエンスホールには日本製のプラネタリウムもありました ガンジス河の分流には大きな近代的なブリッジ(鹿島建設がODAで建てたとか)もあります

《ビショナプル》
ビショナプルはカルカッタの北西150キロにある小さい地方都市です。
ムガール朝のデリー、アーグラから遠く離れた此処まではイスラムの直接征服力が及 ばなかったようだけれど、ムガールに対する守りの象徴として、ビショナプルの門 が当時の街の北西に建てられています。
17〜18世紀の頃、英国の植民地となる前は、ヒンズーの王が代代統治し、其々の 王が礼拝堂-1、 礼拝堂-2を建て、それが州政府によって保存されています。
そして、その一部は今でもプジャと言うヒンズーのお祭りに使われているのだとか。
それらテンプル群の近くに大きな大砲が保存されています。
王の一人が作ったと記されてますが、アーグ・フォートやデリーのレッド・フォートの様な 城は近くになく、道路事情も輸送手段も粗末な当時、長さ3.8メートル、口径29 センチの巨大な大砲が機能したのでしょうか。
ビショナプルは近隣のインド人が集まる観光地ですが、土産屋と並んでヒンズーのお 寺がありました。
入り口に陣取っているのは乞食です。
裸足になって中に入ると床に額を擦り付けるようにして何人もが祈りを捧げている正面に、 自分の頭を左に抱えている等身大の女神が祭られています。
祭壇の前の賽銭箱に小銭を入れると、坊さんが私の頭に聖水の滴を降りかけ、供えられた 花びらを幾つか手渡してくれました。
女神の名前は覚え切れなかったのですが、嘘をついた罰として首を外されたのだとか。
ヒンズーには沢山の神様が居るのだけれど、何処の街にも神様が祭られ、 また観光地での土産として売られています。

ビショナプルの門 時の王様が建てた礼拝堂1 時の王様が建てた礼拝堂2 今も祭りで使われる礼拝堂 1600年代に使われたらしいカノン砲 入れ替わり立ち代りで賑わうヒンズーのお寺 街の交差点で祭られた神様 街のお土産で売られている土偶神様