トップページ ヘ
ボンベイ(ムンバイ)観光
画像にマウスを当てて少しすると説明文が出ます。

≪ボンベイへ向かう≫

デカン高原を大きく越えてボンベイに近づいた辺り、Junnar山上空から 
インド亜大陸全体が一つの大きな赤色岩で、オーストラリア近くから移動して来た成立ちを感じる。 
ボンベイ空港へ近づいた近郊の住宅地域 
流石にインド最大の街だけあって近代的都市とのイメージがある。 
所が着陸間近となった空港周辺の下町は、平屋住宅が密集しての大渋滞 
多民族・多宗教・凄まじい貧富の差をも象徴している。 
ボンベイのタージマハル・ホテル本館。全室1泊250ドル以上だが、流石に全てが超一流 
この日は顧客社長を夕食に招待する予定から、此所に泊る事となった。 
カルカッタのタージ・ヘンガル・ホテルもそうだったが、 
全階通しの吹き抜けによって広さと豪華さを演出している。
≪ボンベイ市内≫
本館、向かって右側の部屋(5階)からの眺め 
右に見えるが「インドの門」で、向こうに霞んで見えるは「アラビア海」とは反対側の入り江の部分 「インドの門」とはアラビア海へ向けての出入り口としての役割を象徴させてのものとか。 「インドの門」の上の部分 
1912年1月10日、英国国王ジョージ5世とクイーンメリーとがインドを訪問し、此所から上陸した。 
そして1924年になり、此所に「Gate way of India」とし、上部に4行の説明入りで建てられた。 朝日に映える「インドの門」と「タージ・マハル・ホテル本館」。インドの門の向こうに見えるビルは「タージ・マハル・ホテル」の新館 
小さい船は観光地のエレファンタ島(入り江のほぼ中央)や対岸(大陸)との行き来に使われている。 タージマハルホテルからは少し離れている西側海岸沿いに建つ「オベロイ・ホテル」 
タージ系列と共にインドでの最高級ホテルの双璧となっている。政府系の「アショカ・ホテル」を含めて三大ホテルとなる。 インドの門とは逆の西海岸でアラビア海に面した所、 
Nariman Point と言う部分。この向こう直ぐの所はもう岬の先端になっている。 
景色の中に解け込んでいるが、バラック小屋の列がインドらしい。 展望レストランから見たボンベイ市の官庁などが並ぶ中心街 
右側の時計搭がボンベイ大学で、其の左に見えるのが最高裁判所だったかな。 展望レストランから見た近くのクリケット場で、野球場やサッカーグラウンドよりずっと大きい 
この時は、一部を仕切って何かイベントが行われる準備中だったか。 回転展望レストランからビクトリアの首飾りと言われたMahim Bayを南側から眺めた所。 
植民地時代にインド人はこの海岸に近づけなかったらしい。またこの海岸沿いの土地は世界一地価の高い所だと言われている。 旧ボンベイ島のほぼ中央部の西海岸に浮かぶ、Hajialidargah’s Tomb と言うイスラムのモスク 
画面左側の堰堤から300メートル位で歩いて行けるが、満潮時には島になってしまう。 イスラムTombの島から右側に目を移した所、 
繁華街にも近く、景色も良く、マンションとしては最高の場所 右はアラビア海に面していて、インドでは珍しい海水浴場となっているチョウパッテイー・ビーチ。 
ヴィクトリア女王の真珠のネックレスと言われるマリーンドライヴの基点にもなっている。 本土から供給される水に頼るしかないボンベイでは、洗濯用の水も貴重品、 
此所は洗濯業者組合の作業場で、貴重な水を文字通り盥(たらい)回しして使っている。 
本土から供給される水に頼るしかないボンベイでは、洗濯用の水も貴重品、 
此所は洗濯業者組合の作業場で、貴重な水を文字通り盥(たらい)回しして使っている。
≪エレファンタ島≫
会える筈の顧客社長はニューデリーが霧で飛行機が遅れ、ようやくボンベイへ着いたら疲れからか寝込んでしまったのだとか。 
 もう一日待つとして、その間を利用しての観光となった。向かうは本土近くのエレファンタ島 
観光船で約1時間の所で、船着場は干満に対応しており土産屋も多い。 
ユネスコの世界遺産に登録された洞窟で、此所はその入り口となっている。 中は天井も高く、大小十幾つの部屋に、百体以上の像が壁に彫り込まれている。 
照明が全く無くて、自然のままで出入り口の明かりに透かして眺めるしかない。 此所にはボンベイから1時間に2〜3便の割りで観光船が来ており、結構な数で賑わっている。 
サリーを纏ったガイドが説明して呉れるが、目の良いインド人は暗い所でも見えるのだろうか。 洞の中で一番大きい像が此れで、ヒンズー教の最高神としてのシバ神の3面を示している。 シヴァの象徴であるシバリンガ(男根が隆々と立つ様) 
此れはシバ神のエネルギーを表す。ヒンドウ教は宇宙のエネルギー崇拝、すなわち究極は一神教で、日本の天照大御神と同じと言うことか。 この島は椀を伏せた形をしていて観光関係者しか住んでいないらしい。 
従って自然が良く残っていて猿との住み分けも出来ている。 右はインド紙幣を作るきっかけとなったG.R.カハテさん 
左はその息子で丸4年余りの付き合いとなったヤショダール君 この日は私がシーフーズが好きと言うことで 
カハテご夫妻がシーフーズ・オンリーのインド料理店に招待して下さった。
≪帰路へ≫
BRBの社長は床に付いた侭で回復せず 
結局モンブランのボールペンをカハテさんに託して帰国の途についた。 インドの航空会社としては国営で主として外国便のエアーインディアと主として国内便のインディアン・エアライン 
民営としてジェットエアーとサハラ航空とがあるが、此方はジェットエアー便ビジネスクラスの機内食 暮れも押し迫った12月24日 
カルカッタ、タージベンガル・ホテルでの一人寂しいクリスマス・カード 1998年12月25日、インド人と付き合い始めて丸3年 
8回目のインドからの帰還を富士が晴れやかに迎えてくれた。 成田空港着陸間近